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稀有な心理小説家の素顔~映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」 [映画時評]


稀有な心理小説家の素顔~映画
「パトリシア・
ハイスミスに恋して」


 この米国生まれの女性作家の名を知ったのは、ルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」(1960年、フランス・イタリア合作)を観てからだった。アラン・ドロンが世に知られた名作。原作は、と調べたらパトリシア・ハイスミスの名が出た。原作も読んだ。映画は、アラン・ドロン演じるトム・リプレーが海辺で「極上のワイン」を飲んでいるところへ刑事が訪れるシーンで終わるが、原作ではトム・リプレーはまんまと逃げおおせる。この部分だけでなく、クライマックスの殺人シーンも大きく変更された。換骨奪胎といってもいい。しかし、唯一といっていいほど変更されなかったのは、犯人が最初から分かっているというプロットの部分。ミステリー作家と呼ぶ向きもあるが、適当でないように思う。ミステリーの最も重要な要素=犯人は最後にわかる、という大原則を外れて(外して)いるからだ。では、何と呼ぶか。「心理小説家」が適当と思う。

 「太陽がいっぱい」だけでなく、彼女の作品の多くが映画化された。無名のころ書いた「見知らぬ乗客」をヒッチコックが見出し、映画化したエピソードはよく知られる。偶然に出会った二人の男が交換殺人のアイデアを共有する。では、ヒッチコックはハイスミスの小説のどこにひかれたのか。「ヒッチコック―映画と人生」(ドナルド・スポトー著)にこんな章がある。

 ――ハイスミスのこの小説で最も内省的な個所は、まるでヒッチコックの日記から引用したと思えるほどだ。
 しかし、と彼はこのとき思った――愛と憎しみ、善と悪は人間の心の中に共存していて、しかも、人によってその占める割合が違っているというのではなく、すべての善とすべての悪とが一人の人間に共存しているのだ。(略)

 ハイスミスの真骨頂がここにある。ヒッチコックも、この才能にひかれた。そしてこの心理描写は「太陽がいっぱい」の主人公が善悪の境目、罪の意識を軽々と越える心理にも共通する。

 「パトリシア・ハイスミスに恋して」はドキュメンタリーである。「見知らぬ乗客」の後、同性愛体験を赤裸々につづった自伝的小説「The Price of Salt(後に「キャロル」と改題)をクレア・モーガンの名で出した。彼女と同性愛体験を共有したタベア・ブルーメンシャイン、マリジェーン・ミーカーらへのインタビューを通じ、才能のありか、人間性が語られる。一見、クールな印象のハイスミスが、ナイーブで愛を渇望し傷つきやすい性格であったことが明かされる。インタビューでハイスミスを「犯罪小説家」と呼ぶシーンがあるが、正確には「犯罪心理小説家」であろう。
 2022年、スイス・ドイツ合作。スイスは彼女が没した地である。監督エバ・ビティヤ。


ハイスミス.jpg


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