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「記憶」を巡るスリリングな展開~映画「瞳をとじて」 [映画時評]

「記憶」を巡るスリリングな展開~映画「瞳をとじて」


 生涯に長編4本という超寡作なスペインの映画監督ビクトル・エリセの、31年ぶりの最近作。「ミツバチのささやき」は秀作らしいが、残念ながら見ていない。したがって他作品との比較で立体的な批評ができないのは残念だ。
 「瞳をとじて」は映像にこだわった作品である。冒頭と末尾に未完の映画のシークエンスが入る。中央部分に現代の物語。エリセは自身の「NOTE」(公式サイト)で「記憶とアイデンティティの物語が進行する」という。もう一つ「映画の二つのスタイルが交錯する」とも。「一つは幻想を生み出すクラシックなスタイル。もう一つは現実によって満たされた現代的なスタイル」。

 始まりは、幻想のシーン。1947年秋、パリ郊外。「悲しみの王」と呼ばれる老人が住む館を、精悍な顔つきの男=俳優名フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)=が訪れる。老人は、中国に住む娘チャオ・シュー(ベネシア・フランスコ)を捜してほしいと依頼する。ためらいながらも引き受け、館を出た男。やり取りの中で、男はスペイン内戦に参加、共和派=人民戦線の側でフランコ政権と戦ったことが明かされ、謎めいた影が漂う。
 ここまで映画の一場面。撮られたのは1990年。以来、フリオの足取りは消えた。時は過ぎ、2012年のマドリード。この映画の監督だったミゲル・ガライ(マノロ・ソロ)は、作家活動で身を立てる。テレビ局から「未解決事件」のインタビュー依頼が来た。ミゲルはフリオの娘アナ・アレナス(アナ・トレント)と、フリオと共通の恋人だったロラ・サン・ロマン(ソレダ・ビジャミル)に了解を取り、失踪直前の映画「別れのまなざし」のフィルムを番組に提供する。
 放映を見なかったミゲルに、ある連絡が届く。フリオに似た男が高齢者施設にいるという。失踪直後に海岸で靴が見つかり投身説が流れたが、その現場近くという。ミゲルは施設に泊まり込み確かめようとするが、ガルデルと呼ばれる男は記憶を失っていた。手を尽くすが記憶は戻らず、ミゲルはあの映画のフィルムを見せようと思い立つ。
 テレビ局に提供したのは冒頭部分だった。撮影仲間だったマックス・ロカ(マリオ・バルト)に頼みこみ、取り寄せた最後のシーンでは、フリオがチャオ・シューを連れ「悲しみの王」に会わせていた。そのシーンを見たフリオは、そっと目を閉じた―。

 波乱万丈ではない。男は記憶を取り戻したのかも、見るものに任される。ミゲルはなぜ映画作りをやめたのか、その後どう暮らしたのか。スペイン内戦は、物語にどう絡むのか。一切説明はない。そうでありながら物語はスリリングに進む。エリセのいう「記憶とアイデンティティ」とは何か。記憶はフリオにまつわると理解できる。では、アイデンティティは。ミゲルの20年か。それとも―。際限のない思索を迫る作品である。そして、映像にこだわり映像の力を信じた作品。冒頭のエリセの言葉に即していえば、映像が幻想を生み出す作品だ。
 2023年、スペイン。


瞳を閉じて.jpg


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