精神の拷問と破壊~映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」 [映画時評]
精神の拷問と破壊~映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」
ユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクが晩年、亡命生活を送ったブラジルで執筆した最後の作品「チェスの話」を映画化した。
主人公はオーストリアの公証人ヨーゼフ・バルトーク(オリバー・マスッチ)。ロッテルダムの港でニューヨーク行きの船を待っている。列の中に妻アンナ(ビルギット・ミニヒマイアー)を見つけ、二人で乗り込む。ここから二つの時間軸が進行する。フラッシュバックのように過去が立ち上がる。
ドイツのオーストリア併合(1938年)とともに、バルトークはゲシュタポに連行された。彼が管理する貴族たちの膨大な資産が狙いだった。事態を予測して書類は焼却した。預金番号は頭の中だ。覚悟していた過酷な拷問はなかった。ホテルの一室に軟禁され、尋問以外は外界と遮断された。毎日同じスープが与えられた。次第に薄れる時間の観念。精神の拷問だった。
全く偶然に一冊の本を手に入れた。チェスの本だった。名人たちの手が紹介されていた。駒など触ったこともないバルトークは床に盤を描き、一手ずつ記憶した。集中することで精神の安定を得た。だがそれも終わりの時が来た。ゲシュタポのフランツ=ヨーゼフ・ベーム(アルブレヒト・シュッフ)に本を発見されたのだ。返してくれと懇願するバルトークに、もはや人間としての誇りはなかった。
船中では世界的な名手ミルコ・ツェントヴィッチによる対局が行われた。背後からバルトークが適切なアドバイスを送る。それを聞いた船のオーナーが対戦を勧める。対局に臨み、名人と引き分けた。
バルトークは、妻の姿がないことに気づく。船員に確かめると、乗船時から一人だったという。ツェントヴィッチはなぜかゲシュタポのベームだった(アルブレヒト・シュッフの二役)。ナチスの将校たちが、対局を見ている。現実と幻影の境界線が判然としない。
1年間の軟禁をへて、バルトークは自由の身になった。しかし、精神はナチスの「拷問」によって破壊されていた。ラストシーン、どこかの精神病院に収容されたバルトーク。そばには妻がいる。彼女に「君は新しい看護婦か」と問いかける。最後に出る「精神が無敵だと信じなければならない」とのメッセージ、どう読めばいいのか…。
「ナチスもの」にとどまらない、映画的な面白さを備えた作品。
2021年、ドイツ。監督は「アイガー北壁」のフィリップ・シュテルツェル。オリバー・マスッチは「帰ってきたヒトラー」で注目された。
日本人の戦後思想にも影響~濫読日記 [濫読日記]
日本人の戦後思想にも影響~濫読日記
「B-29の昭和史 爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代」(若林宣著)
タイトルの面白さにひかれた。言うまでもなくB-29は米国がつくった戦略爆撃機であり、昭和史は日本の元号に基づく、日本でのみ通用する時代区分である。異質な言葉をくっつけたタイトルは、そのまま位相の転換をのみこんでいる。言い換えればアジア・太平洋戦争末期、日本上空を飛んだ飛行機と、なすすべなく見上げた日本国民の複雑な心情が閉じ込められている。それらをこじ開けようとした思いが、わずか数文字から分かる。秀抜なタイトルといえる。
冒頭、航空機の誕生が戦術攻撃にとどまらず不可避的に戦略爆撃思想へと向かったこと、それを体現すべくつくられたのが4発エンジンを持つB-29であったという経緯が紹介される。全長30㍍、全幅43㍍の機体、上昇限度1万㍍、航続5000㌔、爆弾搭載量9㌧。独自の視点があるわけではないが、一般常識としてここは通過しよう。
ここから180度、視点が変わる。冒頭触れた「位相の転換」である。直接的に言えば、爆撃をする側からされる側の視点に変わる。
米軍による日本本土空襲は1942年の、いわゆるドゥリットル空襲からだった。航空母艦から発進したB-25(B-29ではない)16機、東京や名古屋、神戸を爆撃した後、中国大陸に着陸した。予期しなかった日本軍は迎撃態勢を整えられなかった。2年後、サイパン島が米軍の手に落ち、B-29の日本本土空襲が本格化する(このころ、中国奥地から発進したB-29が九州方面を爆撃したが、後に太平洋側からに一本化した。日本軍の占領地域上空を飛ぶ危険性を避けるためである)。
東京周辺に現れたのは44年11月、偵察用改造機が最初だった。晴れた秋の空を超高高度で飛ぶ機体を「きれいだった」と記憶する向きは少なくない。しかし、この時から終戦まで、B-29は日本国民を恐怖のどん底に叩き落とした。
科学技術の先端を行く戦略爆撃機。恐怖の一方で「美しい」と思う複雑な心情。裏側には何があるか。
67年に「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞をとった野坂昭如は78年、テキサスを訪れた。飛行可能なB-29に再会するためだった。野坂は、空襲時に聞いた「ウォンウォンと押さえつけるような」音にこだわった。離陸する機体を見て、何度見ても美しいと思ったとたん、吐き気のように涙が飛び出したという。複雑な心情が伝わる。
B-29の圧倒的な軍事力は、戦後日本人にある種の諦念を植え付けたようだ。あれほどの飛行機は日本にはつくれない。だから負けた、と。これは一方で精神論の無意味さを笑い否定する方向を生み出した。この論法に筆者は釘を刺す。技術力の圧倒的な差が敗戦を生んだ、とするのは戦争責任の問題のすり替えではないか、と。この視点は、終戦直後の日本が原爆=平和の灯論に覆われたことを想起させる。
44年7月、大本営陸軍部はB-29に対する戦訓として「体当たりを以て撃墜するの断固たる決意」を求めた。レイテ沖海戦で神風特別攻撃隊が米艦隊に突入したのが同年10月。それよりも早くB-29への体当たり攻撃は行われたことになる。これは特攻史の書き換えを迫るものだろうか。
時代の傑作機が日本人の戦時のみならず戦後思想にまで影響した、というところまで掘り起こした興味深い一冊。ちくま新書、980円(税別)。
B‐29の昭和史 ――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代 (ちくま新書)
- 作者: 若林宣
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2023/06/08
- メディア: Kindle版
戦後のヨーロッパを変えた人~映画「シモーヌ」 [映画時評]
戦後のヨーロッパを変えた人~映画「シモーヌ」
シモーヌ・ヴェイユ(1927-2004)。同化ユダヤ人の家庭に生まれ、フランスの行政官からEU議会議長に上り詰めた。精力的な生涯の背景には、壮絶なアウシュヴィッツ体験があった―。そんな映画である。「同化ユダヤ人」という聞きなれない言葉、大まかには宗教、結婚相手などを「ユダヤ」に限定しない、住む国の環境に合わせる、ということらしい。
冒頭、一人の老婦人が原稿を書きながら追想にふけっている。それは、やがて「自伝」になる予定だった。のどかな風景は一転、激しい議論の場面に。1974年、シモーヌはシラク政権の厚生相として人工中絶の合法化(ヴェイユ法)を成立させた。
前半は少女期からアウシュヴィッツ体験を経て生還。パリ大学、パリ政治学院を経て結婚、育児にいたる生活を描く。家庭の主婦にとどまることに疑問を抱き、弁護士を目指すと宣言。家族の賛同を得られず行政官で妥協。「自由と博愛」のフランスが意外に不自由で保守的であることが伝わる。
後半、アウシュヴィッツ体験が前面に。ヴィシー政権下の1944年4月、一家は連行される。貨物列車に詰め込まれ、厳寒と食糧難の収容所生活。3か月後にアウシュヴィッツ内にあるボブレク収容所に送られ命をつなぐ。ポーランド人のカポ(労働監視員)の配慮らしい。食糧事情などがややよかったのだ。翌年1月、ソ連軍が迫りドイツ領内ベルゲン・ベルゼン収容所への「死の行進」を強いられた。倒れれば即銃殺。なんとかたどり着いたが(夫は消息不明)、母は直後に亡くなった。
こうした恐怖の体験が詳細に映像化される。シモーヌの思想の土台をなすからだ。戦後の歩みとアウシュヴィッツ体験が交互に描かれる中で、戦後再会した夫の「EUを結成したことで(シモーヌは)20世紀と和解することができた」という言葉が紹介される。悲劇を繰り返さないため、ヨーロッパの国同士が戦争をしない仕組みが必要、という思いが込められている。
この稿を書くにあたってウィキペディアを参照した。ハンナ・アーレントの「アイヒマン=凡庸な悪」論を「すべての人に罪があるというのは、だれにも罪はないというのと同じだ」と批判するシモーヌの言葉が興味深かった。実際に死と直面したシモーヌと、連行前に米国に亡命したアーレントの、体験の違いが背後にあるのか。もちろん、それだけではないだろうが。
フランスの戦後をリアルに生きた、反骨と信念の人。世界を変えたかどうかは分からないが、ヨーロッパを変えた人の一人。
2021年、監督オリヴィエ・ダアン。
少女期を除き、二人の俳優がシモーヌを演じた。時間軸が入り組んでいるため、キャストは別に紹介する。
エルザ・ジルベルスタイン(シモーヌ1968-2006)
レベッカ・マルデール(シモーヌ1944-1965)
オリヴィエ・グルメ(夫のアントワーヌ)
エロディ・ブシェーズ(母のイヴォンヌ)
八方ふさがりの現実~映画「遠いところ」 [映画時評]
八方ふさがりの現実~映画「遠いところ」
舞台は沖縄。17歳のアオイ(花瀬琴音)はコザのキャバレーで働く。息子の健吾(2歳)、夫のマサヤ(佐久間祥朗)と暮らす。建築会社で働くマサヤは、出勤率が悪いと首切りにあう。生活はアオイの肩にかかるが、店に警察の手入れがあり、働けなくなる。酒におぼれたマサヤは街で喧嘩沙汰を起こし、3人にけがをさせる。示談金はない。店に相談すると「ウリ」しかないといわれる。風俗で体を売れば、キャバ嬢の何倍ものカネが手に入る。その道を選択したアオイの内部に変化が出始める。児童相談所の職員が訪れ、健吾を連れていく。風俗には手を出すな、と忠告していたキャバ嬢の親友・海音(石田夢実)は死んでしまった…。
ひたすら堕ちていく。八方ふさがり、壁、出口なし。
そんな映画である。この現実を、あなたはどう見るか。そんな問題提起ととらえられなくはない。作品の密度は高く、支えるのはアオイを演じる花瀬の存在感である。
精神のどこかに破綻をきたしたアオイは施設に侵入し健吾を連れ海へ行く。このラストシーンの結末は、見るものに放り出される。希望なのか、絶望なのか。タイトル「遠いところ」からすれば、容易に死のイメージにつながる。時間の流れを見ると、水平線に浮かぶ太陽は、朝日である。その朝日に向かって健吾を抱え上げるアオイ。健吾がいるから生きてこられた。そう言っているようだ。これは、希望でなくてなんであろう。
2022年製作。監督の工藤将亮は、ある新聞のインタビューで「ほぼノンフィクション」と語った。映像作品には実写や録音を使う手法があり、そのためドキュメンタリーというジャンル分けがあると理解していた(活字メディアでは、事実をそのまま再現する場合でも、活字で全面的に起こす必要があり、そのためノンフィクション、フィクションというジャンル分けが意味を持つ)。映像作品をノンフィクションと定義すれば、以上のような理解は覆される。もっとも、T・カポーティ―の「冷血」をノンフィクションノベルと呼ぶ向きもあるので、ノンフィクションムービーも、あってもおかしくないかも。
監督の言に従えば「遠いところ」は「ほぼノンフィクションムービー」であろう。
日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」 [映画時評]
日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」
スクリーン上で女性を描かせたら当代一といわれた成瀬巳喜男監督の作品に「流れる」(1959年)、「乱れる」(64年)があった。前者は柳橋芸者の消えゆく美しさを、後者は思いがけぬ告白に揺れる戦争未亡人の心を、こまやかに表現した。ともに昭和の名作である。
これらを想起させたタイトルを持つ「ほつれる」。これもまた、女性の揺れる心の内を描いた。束ねた髪が乱れるように、積み上げた日常がふとしたことで足元から崩れていく。
綿子(門脇麦)と夫・文則(田村健太郎)の関係は冷え切っていた。日常的な会話は交わすが、どこかよそよそしくぎごちない。そんな彼女には友人(黒木華)の紹介で交際していた木村(染谷将太)がいた。文則との関係が冷めるにつれ、木村への傾斜が強まった。
ある日、彼女は泊りがけで木村と旅をする。別れ際、彼は交通事故にあい、死んでしまう。木村の妻と会い、「結婚したら一人の人としかセックスしちゃダメでしょ」と真正面から非難される。そうした事実を受け入れられない綿子は旅をする。木村との思い出の地へ。
帰ってきた綿子は冷たい視線の夫に非難され反論するが、もはやそれは意味を成してはいなかった。
そして彼女がとった行動は…。
成瀬作品ほど大作ではなく、淡色の短編小説を読む味わい。日常生活にひそむ危機-行き違いから生まれる関係の空洞・冷却化をこまやかに描いた。
2023年、監督加藤拓也。
集団の暴走にどう向かう~映画「福田村事件」 [映画時評]
集団の暴走にどう向かう~映画「福田村事件」
100年前の関東大震災直後にあった、香川から来た薬の行商人一行の虐殺事件を映画化した。9月6日、千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で15人が襲われ、9人が落命した。妊婦が一人おり、胎児を含めると犠牲者は10人になる。
震災直後に流れた「朝鮮人が暴動を企てている」という流言が発端だった。井戸に毒を入れ、放火をして回っているというデマが広がり、不安に駆られた地域の自警団が朝鮮人狩りを行い、さなかに福田村事件も起きた。
監督は森達也。これまでオウム事件や佐村河内事件をドキュメンタリーの形で映像化した。姿勢は一貫していた。善悪の色が簡単につけられ、流される世論に異議を申し立てた。オウム信者は全員が極悪非道なのか、佐村河内守氏は本当に詐欺師なのかを問いかけた。今回は劇映画だが「流される世論」「集団の狂気」に異を唱えるという姿勢は変わらない。
事件については、辻野弥生氏の優れたノンフィクション「福田村事件 知られざる悲劇」(五月書房)があり、森氏も寄稿した。
映画でまず目に付くのは、澤田智一(井浦新)、静子(田中麗奈)夫婦をオリジナルに造形、配置したこと。智一は朝鮮で教師をしていたが日本軍の朝鮮人虐殺を目にし、帰国した。当時の軍国主義に疑問を持っている。静子は性を含め自由奔放な性格。こうした二人の目を通して事件はどう見えたか。ここに森の意図(意思)が見てとれる。集団の内側にいては見えないものを、外から見ることで形を得ようとしている。集団から自立することで、狂気に流されない道を探る。
在郷軍人を先頭に、先陣争いをするかのように朝鮮人狩りが行われる。四国弁があやしい日本語とされ、朝鮮人では、と疑われた。一行の親方、沼部新助(永山瑛太)は「朝鮮人なら殺してもいいんか」と抵抗するが、集団の暴走は止まらない。約100人が手を下したという事件は、8人が罪に問われたが、大正天皇が没した際の恩赦で全員が釈放された。この事実も、時代の雰囲気をよく物語っている。
辻野の著作と森の映像。100年後にようやく明らかにされた事件の全貌。貴重な収穫である。
2023年製作。
薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」 [映画時評]
薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」
沢木耕太郎の、おそらく唯一の小説「春に散る」を映画化した。原作では4人のボクサーたちが「世界」をとる夢を果たせず、挫折したまま老境を迎える。ひょんなことから4人は共同生活を始め、偶然出会った若いボクサーに「世界」への夢をかける…。
沢木には「クレイになれなかった男」「一瞬の夏」「リア」というボクサー三部作というべきノンフィクションの名作がある(自身「ノート」という形でそれぞれ第一部、第二部、第三部と位置付けている)【注】。アウトボクシングをスタイルとするカシアス内藤をモデルにした三作が「春に散る」の下敷きになっていることは、いうまでもない。
4人のうち、広岡仁一(佐藤浩市)を軸に物語は展開する。ボクサーとして挫折した広岡は米国西海岸でホテル経営者として成功、40年ぶりに帰国する。心臓発作という爆弾を抱えた彼は、昔通ったボクシングジム(真拳ジム)を訪れ、先代を引き継ぎ経営する真田令子(山口智子)に会い、寝起きを共にした3人の消息を探る。ジム経営に失敗、借金を抱えた佐瀬健三(片岡鶴太郎)、つまらぬことで喧嘩し、傷害で刑務所に入った藤原次郎(哀川翔)、同棲していた居酒屋の女将に死なれた星弘…。人生のどん底を見た男たちだった。
居酒屋で飲んでいた広岡は若いグループに絡まれ喧嘩沙汰に。一人はボクシングの心得があるらしかった。かつてリングに輝かしい戦績を残し、突然消えた黒木翔吾(横浜流星)だった。「やめておけ」という広岡のクロスカウンターで倒された翔吾は「もう一度ボクシングがやりたい」と弟子入りを志願する。
広岡はジム近くに事故物件の一軒家を借り、3人と共同生活を始める。それは、若いころをなぞっただけなのか、それとも新しい何かを始めるためなのか…。
以上は原作の大筋だが、映画ではかなりの省略が行われている。小説と映画というメディアの特性の違いを考えると、宿命といえる。最大の違いは「四天王」が「三羽ガラス」に置き換えられ、藤原と星のキャラクターが合体されたこと。原作で造形された人物像が多少粗雑に扱われたか、という思いもするが仕方ないところか。広岡が家探しをする中で知り合った若い娘・佳菜子(橋本環奈)の天涯孤独な出自も、広岡の姪という形でカットされた。真拳のライバルジムに育てられた翔吾も、まったく違う境遇に置き換えらえた。
沢木は、広岡がなぜ40年も暮らした米国から帰国する気になったのか、翔吾はなぜ、いったんリングから去ったのか、など丹念に書き込んでいる。これらをカットした結果として原作にあった、果たせなかった夢を抱えて晩年をどう生きるのか、という人生ドラマの側面が薄くなり、広岡、佐瀬、翔吾が前面に出て「若いころの夢を再び」という単純なボクシング映画になった。時間という「尺」の問題があり、良し悪しは分からない。ただ、佐藤浩市、片岡鶴太郎、哀川翔、横浜流星は、はまり役であったと思う。
2023年、監督・瀬々敬久。
ところで、この一文を書くために原作をぱらぱらと読み返すうち「あとがき」でこんな言葉に出会った。
――私がその一年で描きたかったのは、彼(広岡)の「生き方」ではなかったような気がする。(略)鮮やかな「死に方」でもない。あえていえば「在り方」だった。
未来のために現在をないがしろにしたり犠牲にしたりしない。「いま」を誠実に生きる―。
ふかく共感する。
【注】「沢木耕太郎ノンフィクションⅤ かつて白い海で戦った」(2003年、文藝春秋社)所収。