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日本人の戦後思想にも影響~濫読日記 [濫読日記]


日本人の戦後思想にも影響~濫読日記


B-29の昭和史 爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代」(若林宣著)


 タイトルの面白さにひかれた。言うまでもなくB-29は米国がつくった戦略爆撃機であり、昭和史は日本の元号に基づく、日本でのみ通用する時代区分である。異質な言葉をくっつけたタイトルは、そのまま位相の転換をのみこんでいる。言い換えればアジア・太平洋戦争末期、日本上空を飛んだ飛行機と、なすすべなく見上げた日本国民の複雑な心情が閉じ込められている。それらをこじ開けようとした思いが、わずか数文字から分かる。秀抜なタイトルといえる。

 冒頭、航空機の誕生が戦術攻撃にとどまらず不可避的に戦略爆撃思想へと向かったこと、それを体現すべくつくられたのが4発エンジンを持つB-29であったという経緯が紹介される。全長30㍍、全幅43㍍の機体、上昇限度1万㍍、航続5000㌔、爆弾搭載量9㌧。独自の視点があるわけではないが、一般常識としてここは通過しよう。
 ここから180度、視点が変わる。冒頭触れた「位相の転換」である。直接的に言えば、爆撃をする側からされる側の視点に変わる。
 米軍による日本本土空襲は1942年の、いわゆるドゥリットル空襲からだった。航空母艦から発進したB-25B-29ではない)16機、東京や名古屋、神戸を爆撃した後、中国大陸に着陸した。予期しなかった日本軍は迎撃態勢を整えられなかった。2年後、サイパン島が米軍の手に落ち、B-29の日本本土空襲が本格化する(このころ、中国奥地から発進したB-29が九州方面を爆撃したが、後に太平洋側からに一本化した。日本軍の占領地域上空を飛ぶ危険性を避けるためである)。
 東京周辺に現れたのは4411月、偵察用改造機が最初だった。晴れた秋の空を超高高度で飛ぶ機体を「きれいだった」と記憶する向きは少なくない。しかし、この時から終戦まで、B-29は日本国民を恐怖のどん底に叩き落とした。
 科学技術の先端を行く戦略爆撃機。恐怖の一方で「美しい」と思う複雑な心情。裏側には何があるか。

 67年に「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞をとった野坂昭如は78年、テキサスを訪れた。飛行可能なB-29に再会するためだった。野坂は、空襲時に聞いた「ウォンウォンと押さえつけるような」音にこだわった。離陸する機体を見て、何度見ても美しいと思ったとたん、吐き気のように涙が飛び出したという。複雑な心情が伝わる。
 B-29の圧倒的な軍事力は、戦後日本人にある種の諦念を植え付けたようだ。あれほどの飛行機は日本にはつくれない。だから負けた、と。これは一方で精神論の無意味さを笑い否定する方向を生み出した。この論法に筆者は釘を刺す。技術力の圧倒的な差が敗戦を生んだ、とするのは戦争責任の問題のすり替えではないか、と。この視点は、終戦直後の日本が原爆=平和の灯論に覆われたことを想起させる。

 447月、大本営陸軍部はB-29に対する戦訓として「体当たりを以て撃墜するの断固たる決意」を求めた。レイテ沖海戦で神風特別攻撃隊が米艦隊に突入したのが同年10月。それよりも早くB-29への体当たり攻撃は行われたことになる。これは特攻史の書き換えを迫るものだろうか。
 時代の傑作機が日本人の戦時のみならず戦後思想にまで影響した、というところまで掘り起こした興味深い一冊。ちくま新書、980円(税別)。



B‐29の昭和史 ――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代 (ちくま新書)

B‐29の昭和史 ――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代 (ちくま新書)

  • 作者: 若林宣
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2023/06/08
  • メディア: Kindle版


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