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運命の非情を描いて「泣かせ屋」の本領~濫読日記 [濫読日記]

運命の非情を描いて「泣かせ屋」の本領~濫読日記


「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」(春日太一著)

 国民経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言したのは1956年、戦争から10年後のことだった。日本人が敗戦に打ちひしがれていたこの10年間に、世界に衝撃を与えた映画が相次いで製作された。「羅生門」(1950)、「生きる」(1952)、「七人の侍」(1954)である。いずれも骨太のヒューマニズムと娯楽性を備え、見る者の心をつかんだ。それぞれ国際的な映画祭で評価され、国民に誇りと立ち上がる力を与えた。監督は黒澤明、脚本は橋本忍との共作だった。黒澤は世界的な監督として、横顔はさまざま語られた。しかし、脚本家・橋本は知名度のわりに人間性が知られていない。1918年生まれの戦中派は戦争をどうくぐったのか。戦後、どのように脚本家としての階段を上ったのか。かねて興味深い存在であった。
 橋本には著作「複眼の映像」がある。副題に「私と黒澤明」とある通り、橋本の目を通して黒澤明は何者かを書いた。シナリオ制作をめぐる二人の息詰まるやり取りが描かれ、面白い。しかし、当然ながら「橋本忍とは何者か」は書かれていない。
 1977年生まれの映画史研究家が、脚本家・橋本の人物像をまとめた。標題の本である。201314年に行った約20時間のインタビューをベースに(橋本は2018年没)、先に挙げた橋本の著作、黒澤の自伝、関係者の証言などを突き合わせた。事実関係が微妙に違って、真相が分からないものも多い。著者の春日が「藪の中」(「羅生門」の原作)とした部分もある。取材相手は監督や脚本家だ。頭の中でストーリーが組み替えられている可能性もあるのだ。

 橋本は1918年、姫路の北、山間の町・鶴居に生まれた。父・徳治は小料理屋を営んだが芝居好きが高じて興行に手を出した。博打が好きで、その臭覚を働かせたようだ。橋本によるとカタギには見えなかったという。競輪好きで、後に映画の「当たる」「当たらない」をかぎ分けた橋本は、父の血を引き継いだのかもしれない。
 1937年、橋本は中国戦線へ送られる直前に結核と診断され、傷痍軍人岡山療養所に入った。本人によれば結核廃兵扱いで死刑宣告に等しかった。絶対安静で暇つぶしに困っていたところ、同室の男から渡された雑誌「日本映画」が、シナリオを読むきっかけになった。「この程度なら自分にも書けそうだ」と「これを書く人で、日本で一番偉いのは」と聞くと、男は「伊丹万作」と答えたという。映画の脚本に手を染めるきっかけがこれであった。結局、死ななかった彼は脚本を書き、伊丹に送った。師と仰いだ名監督の死後、人の輪を通じて黒澤を知る。書店で見かけた芥川龍之介全集から「藪の中」をシナリオにしていた。習作として時間配分など考えていなかったため、映画としては「尺」が短すぎた。同じ芥川の「羅生門」のエピソードが全体の「額」として組み込まれた。そのアイデアの出どころは両者で全く違う。まさしく「藪の中」である。こうして戦後、国際的に認められた初の日本映画が誕生した。脚本家・橋本の誕生でもあった。

 橋本を語るのに「砂の器」は外せない。故郷を追われた父子の旅。捜査会議の模様、音楽家としての地位を築いた男の演奏会、これらが同時並行で描かれる。特に、原作では「その後の足取りは誰も知らない」とされた父子の旅が、日本の美しい四季とともに描かれたシーンは感動を呼んだ。松本清張は「この作品は原作を越えた」と絶賛したという(川本三郎「映画の木漏れ日」)。橋本の構成者としての腕力が生きた名作となった。この作品では、流浪の旅をした父が、原作と違って生きていることになっている。裏取りのため療養所を訪れた刑事に、父は慟哭とともにあの旅路を否定する。これも橋本ならでは、のシーンである。
 そういえば、冤罪事件を描いた「真昼の暗黒」を、橋本は世間でいう反権力、社会派映画ではなく、泣ける「母もの」映画だとインタビューで答えている。「砂の器」で、音楽家として名を成した息子をかばい父子関係を否定するシーンは「父もの」というべき橋本の本領ではないか。なぜ多くの人々に受け入れられたかの秘密の一端を見た気がした。
 橋本は「砂の器」を独立プロで撮った。同じ方式で「八甲田山」もヒットした。しかし、これ以降の作品は芳しくない。独立独歩、自らの腕力だけを信じて歩いてきた男が、晩年に世の中の流れから浮き上がってしまったのも分からないではない。

 タイトル「鬼の筆」の鬼とは何か。第一義的には剛腕で鳴った橋本自身であろう。第二義的には人々に強いられた非情な運命。橋本は運命に翻弄される人々の悲嘆を描いた作家だった。「生きる」や「砂の器」「八甲田山」がそれらを代表している。この、越えがたい運命の壁をベースにした物語の原点は、いうまでもなく戦時中の結核体験にある。
 文藝春秋刊、2500円(税別)。


鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折

  • 作者: 春日 太一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2023/11/27
  • メディア: 単行本


 


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結末、すっきりしない~映画「罪と悪」 [映画時評]

結末、すっきりしない~映画「罪と悪」


 ある地方都市。3人の少年が思いもつかぬことで殺人を犯す。一人が罪をかぶる。22年後、秘密を抱えたまま3人は再会する―。この設定は、とても魅力的だ。しかし、観終わった感想は「なんだか、すっきりしない」。なぜだろう。

 春と晃と朔は中学のサッカー部員だった。試合の日、もう一人の部員・正樹は来なかった。翌日、河原で正樹の遺体が発見された。一方でもう一つの事件が起きていた。老人が殺され、住んでいた作業小屋が放火された。春が逮捕された。
 22年後。春は少年院を出て建築会社を経営。街の不良少年を束ねていた。晃は父親と同じ警察官に。朔は引きこもりの兄・直哉の面倒を見ながら農業を継いだ。そんなおり、春のもとにいた小林大和が殺された。遺体の状況は、正樹のときに似ていた。遺品の中に、正樹の財布があったことから、二つの事件は結びつくかに思えた。春は正樹が殺される直前、その財布を直哉に託していたことを思い出した。直哉の部屋に向かうと既に自殺、正樹殺害の凶器と思われる石が見つかったことで直哉が犯人とされ、被疑者死亡で二つの事件は解決したかに思われた。
 3人は夏祭りの夜、再会する。そこで思わぬ真相が明らかになる。老人を率先して殺したのは朔だった。なぜか。問い詰められて事件直前、朔と正樹は老人から性的暴行を受けたことが明らかに。そのことを春に漏らしたと邪推した朔が、正樹を殺したのだった。さらに春の口封じのため、小林少年を殺害、罪を着せようとしていたのだった。

 ここに書いたのはストーリーの幹部分だが、それでもかなり込み入っている。春が受けた家庭内暴力、晃の父や上司佐藤(椎名桔平)の腐敗ぶり、地域の暴力団のトップに君臨する白山會会長・笠原(佐藤浩市)の存在などが背景として描かれる。罪をかぶるものと本当の悪は違うと言っており、タイトルにつながる。
 あらためて俯瞰すると、枝葉が多く幹の部分が浮き立っていない。もう一つ、第一の殺人は腹に落ちるが、第二の殺人はそうならない。少年時代の性的暴行被害を隠し通すため、何の関係もない少年を殺すだろうか。さらに、第一の殺人の被害者の財布を22年間、持ち続けるだろうか。こうした疑問がぬぐい切れないことが冒頭の「すっきりしない」感につながっている。春に罪を着せるため行った小林少年殺しの容疑が、春に向かわず直哉に向かったという流れも頭を混乱させる。
 2024年製作。井筒和幸監督らの助監督を務めた齊藤勇起の監督デビュー作。


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ドタバタに終わらない深さ~映画「女優は泣かない」 [映画時評]


ドタバタに終わらない深さ~映画「女優は泣かない」


 不倫スキャンダルを報じられ、一時期干された園田梨枝(蓮佛美沙子)は再起を期して故郷・熊本に10年ぶり帰ってきた。空港で待つのはテレビ局AD瀬野咲(伊藤万理華)だった。ドラマ部への配転を望む彼女には意に添わぬ仕事だった。
 帰郷した女優の密着ドキュメンタリーを撮る。これが上司の命だった。ところが、ドラマ志向が強い咲はシーンごとのセリフまで脚本に書き込む。「やらせでは」と梨枝は反発し戸惑う。父・園田康夫(升毅)と喧嘩同然で東京へ出た梨枝は、この帰郷も実家に知らせずにいた。
 こうして、崖っぷちに立つ二人のドタバタ劇が始まった。二つの摩擦が絡み合って火花を散らす。一つは撮影を巡る、もう一つは家族との。前者は、表面上は派手だがそれほど重くはない。論理の問題だからだ。後者は地味だが重く複雑である。情が絡むからだ。

 父はがんに侵され、寝たきり状態だった。母の法事にも出なかった梨枝に家族は怒りの目を向ける。姉の飯塚真希(三倉茉奈)に「家族と仕事と、どっちをとるの?」と問われ「仕事」と答える梨枝。一方で高校の同級生・猿渡拓郎(上川周作)の運転するタクシーで「仕事をやめようかな」と弱音も。拓郎は「この町のヒロインなんだから、俺たちの前ではカッコつけてよ」と励ます。
 このやり取りは、深い。古くからの土着を生きるか関係の絶対性を生きるか、に似ている。土着の思想に足元をすくわれ回帰した例は「転向」と呼ばれた。この作品でも、梨枝が「お姉さんは手の届く世界でしか生きてこなかったから、分からないのよ」と愚痴るシーンがある。大情況か小情況か、無限責任か有限責任か、と言い換えられるかもしれない。

 父・康夫の臨終に、梨枝は駆けつける。そこで一つの仕掛けを、咲に頼む。タイトルに絡む、鮮やかな回収劇がラストを飾る―。

 2023年製作。CMディレクターやテレビドラマ監督をやってきた有働佳史の初の長編映画。自身の故郷を舞台にした。


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得意と失意、嘘と真実の人生~濫読日記 [濫読日記]


得意と失意、嘘と真実の人生~濫読日記


「トルーマン・カポーティ」(ジョージ・プリンプトン著)


 トルーマン・カポーティ。「冷血」でノンフィクション・ノベルというニュージャーナリズムの新境地を切り開き、「ティファニーで朝食を」では高級コールガールの目を通してニューヨークの都市文化を描いた。「叶えられた祈り」(未読)で米国社交界の内幕を暴き、怒りと侮蔑の対象となった。孤独の中で薬物とアルコールにおぼれ、60歳で生涯を閉じた。

 嘘と真実、虚と実、愛と憎が入り混じる、得意と失意の人生を描いたノンフィクションが読みたいと思っていた。知る限り、そうした本は2冊。ジェラルド・クラーク著「カポーティ」(未読、文藝春秋社刊)と、標記の一冊である。同じ人間を対象としながら、手法は正反対だ。「カポーティ」は、従来の「評伝」「伝記」スタイルと思われるが、この「トルーマン・カポーティ」は、著者の「読者へ」と訳者(野中邦子)の「あとがき」によればオーラル・バイオグラフィ(聞き書きによる伝記)なのだ。カポーティにかかわった人々の証言やコメント、感想を、そのまま載せている(もちろん多少の裏付け取材はしているだろうが)。最終的に真実かどうかは、語り手に預けられている。

 著者のジョージ・プリンプトンはある文芸誌の編集長で、インタビュー記事を得意とするノンフィクション作家。カポーティの人物像を浮き彫りにするため取材した友人、親戚、マスコミ、映画、ファッション関係者は170人に上るという。

 その結果、浮かび上がった「トルーマン・カポーティ」は嘘つきの名人であり(だから作家になれた?)、取材対象者の内側に入り込み、まるで彼がしゃべったかのように話すことができ(ノンフィクション・ノベルの手法)、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のように上流社会を描こうとして挫折し、文学の天才であり、金持ちのペットのような存在でもある、とらえどころがなく、めくるめく存在として、我々の目の前にいる。このような人生をオーソドックスな手法で描いても、魅力と存在理由は伝わってこないのではないか(といいながら、ジェラルド・クラークも一度読んでみようと思う)。

 そんなわけで、この書の内容を体系的に語ることは困難と判断(そもそも、スタイルそのものが体系を拒み細部にこだわっている)。印象に残ったコメントを紹介するにとどめたい。

 ――一時期、ノートに創作メモをつけていたことがあった。しかし、そうすると頭の中のアイデアが生命を失ってしまうことが分かった。その思いつきが十分に価値のあるものなら、本当に自分のものになっていれば、忘れるはずがない…文字に書かれるまでつきまとうはずだ。(T・カポーティ)

 ――彼(カポーティ)は、ノーマン・メイラーが「冷血」の真似をしているくせになんの断りもないと言いふらしてまわった。プロの作家がそんなことをいうなんてどうかしていると思った。だから、それ以後、彼との関係は冷たくなった。(略)しかし、あのスタイルはトルーマンの考案ではない。(略)つまり、「ノンフィクション・ノベル」は彼の発見ではないってことだ。(N・メイラー=作家)

 ――彼の予想では、あのレディたちは大目に見てくれるはずだったんだ。「まあ、あのおチビのいたずらっ子、今度の悪さときたらどう? ちょっとやりすぎだわね!」と。それから、またヨットに招待してくれる。まあ、何をしようと勝手だが、わざわざ通りのど真ん中でやって馬をびっくりさせちゃいけない。(略)そんなわけで、連中は熱いジャガイモを放り出すように彼を捨てた。彼にとっては夢にも思わない事態だ。(J・ノウルズ=編集者)
 新潮社、3500円(税別)。

トルーマン・カポーティ

トルーマン・カポーティ

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/12/01
  • メディア: 単行本


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「ポスト戦後」映画の予感~映画「ゴジラ-1.0」 [映画時評]


「ポスト戦後」映画の予感~映画「ゴジラ-1.0

 映画「ゴジラ」第一作は1954年秋に公開された。以来30作目が「ゴジラ-1.0」である。直近の「シン・ゴジラ」から7年ぶりになる。
 オリジナルはビキニ環礁で第五福竜丸が被曝したブラボー作戦(水爆実験)直後に公開、核実験の影が色濃く出た。この年、朝鮮半島では中国・北朝鮮と米国・韓国の戦火がやまず、米ソの緊張も極度に高まった。こうした時代背景のもと作られた「ゴジラ」は核と戦争の恐怖に支配されざるをえなかった。映画評論家・川本三郎も「今ひとたびの日本戦争映画」(岩波現代文庫)で「『怪獣映画』であるよりも『戦争映画』である」「さらにいえば『戦争』というより『戦災』『戦禍』の映画なのだ」と「ゴジラ映画の『暗さ』」の理由を解き明かした。
 「ゴジラ」が、9年前の敗戦の「記憶」と深くつながっていたとする向きは多い。川本もオリジナルのラスト、ゴジラが太平洋に沈むシーンに戦艦大和や戦没兵士らの姿を重ね、講和条約後、再武装に踏み出そうとする日本への、怒りの警鐘とする。だからこそゴジラに、人々は恐怖したのだという。川本はさらに、ゴジラが皇居を攻撃しなかったことに戦後も続く天皇制の呪縛をみたが、民俗学者の赤坂憲雄は三島由紀夫の「英霊の声」を引き、異論を述べている。英霊はこういっているという。
 ――われらは裏切られた者たちの霊だ。
 二・二六事件で、そして戦後の人間宣言で。「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」-。人間になってしまった天皇の住まうところなど攻撃・破壊の価値はない。こういっているという(「ゴジラとナウシカ」(イーストプレス刊)から)。

 そろそろ「-1.0」に移らなければならない。この作品の特徴は二つある。①ゴジラ出現のタイミング。オリジナルが核時代を告げる中で生まれたのに対し、戦争末期の1945年に日本兵に敵対する形で現れる。②川本が指摘した未来への「暗さ」がないこと。これは①と微妙に絡む。ゴジラが戦時に出現したことで、戦後(思想)とゴジラはパラレルの関係になった。オリジナルでは日本の戦後と対峙する形で存在したゴジラが「-1.0」では日本の未来を切り開こうとする力と対峙する形で描かれる。構図は単純化され、川本がいう戦後思想の「暗さ」が介在する余地がない。

 敷島浩一少尉(神木隆之介)は戦争末期、ゼロ戦で特攻に出撃するが、死への恐怖を克服できず大戸島(オリジナルで、ゴジラが最初に現れた島と同名)に着陸する。待機の整備兵数人に故障を告げるが機体は正常で、橘宗作(青木崇高)らから作戦離脱を疑われる。そこへ海底からゴジラが現れ、整備兵ら大半が死亡する。
 戦争が終わり、敷島は特攻崩れとして東京に戻る。自宅は跡形もなく、近所の太田澄子(安藤サクラ)から母の死を告げられる。焼け跡闇市を彷徨するうち大石典子(浜辺美波)と出会う。身寄りのない乳飲み子明子を連れていた。
 このあたりの描写は興味深い。澄子は敷島を見て、あんたらがしっかりしないからこんなことになったんだと非難する。日本軍は天皇の軍隊で、国民の軍隊ではなかった。こういったシーンは「兵士たちの戦後史」(吉田裕著、岩波現代文庫)にもある。一方の敷島も、一人生き残ったという罪悪感(サバイバーズ・ギルト)に苛まれる。この心理状況を克服するため、自らの戦争を終わらせることを決意する。それが、命を懸けてゴジラと対峙することにつながる。

 夜間の来襲=サーチライトの多用(東京大空襲の再現)を印象付けたオリジナルに比べ「-0.1」の東京攻撃は昼間のシーンが多く、空襲=戦禍の印象が薄い。戦争の記憶に頼らず、ゴジラそのものを恐怖の存在として視覚的に際立たせる点にエネルギーが注がれる(それだけ「戦争」の記憶が遠ざかったということか)。
 ただ、復員省(海軍省・陸軍省の後継)の命で日本近海の掃海作業を、木製船を使って行ったエピソードは、朝鮮戦争当時に実際にあり死者も出た。このあたり時代の影がのぞく。ここで敷島は元海軍技術士官・野田健司(吉岡秀忠)らと出会う。野田は、オリジナルのオキシジェン・デストロイヤー発明者・芹沢大助の役割を担う。

 全体としてみれば、川本が指摘した「暗さ」はなく、敷島は「自らの戦争」に決着をつけ、自由と希望に満ちた未来を切り開く存在として描かれる。このあたり、戦後思想の呪縛から逃れえなかった従来のゴジラ映画と一線を画している。念のため言えば「シン・ゴジラ」は現代を舞台に日本の安全保障に焦点を当てた。潮目が変わったのはこの作品からと思われる。これまでの「ゴジラ」が戦後映画なら、近2作は「ポスト戦後」映画の範疇かもしれない。
 2023年.監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴。

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素材は面白いが~映画「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」 [映画時評]


素材は面白いが~映画「ジャンヌ・デュ・バリー
国王最期の愛人」


 この1か月足らずの間に、フランス革命ビフォー&アフターの映画を立て続けに見た。時間軸が逆転するが、アフターは「ナポレオン」。マリー・アントワネットが断頭台に向かうシーンから始まる。ビフォーが、この「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」だった。
 私生児として生まれ、娼婦同然の生活を経てフランス国王の寵愛を受けヴェルサイユ宮殿に入り、公妾として権勢の階段を昇りつめた女性。歴史上、こんな面白いキャラクターはそうそう見当たらない。したがって、これまでにも数多く映画化されてきた。

 「国王最期の愛人」の主人公ジャンヌ・デュ・バリーは監督・脚本のマイウェンが、ルイ15世をジョニー・デップが演じた。
 巷に生きる女性が突然ヴェルサイユ宮殿に入るのだから、王室とそれを取り巻く人々の挙動と因習が皮肉交じりの視線で描かれる。やがて王太子(後のルイ16世)がマリー・アントワネットを娶る。ジャンヌとアントワネットのつばぜり合いが始まるが、なぜかこの部分はさらりと描かれる。ルイ15世が1774年、天然痘を患い死の床につくと、ジャンヌはヴェルサイユから追放され、修道院に幽閉される。ジャンヌの権勢は国王の寵愛だけが支えなので、これはやむを得ないところか。この時から15年後にフランス革命が起きる。
 15世の死後のジャンヌの生きざまは、映画では描かれないが面白い。16世の温情で幽閉を解かれた後、貴族階級の複数の人々と愛人関係を持ち、相変わらずの生活だったようだ。革命後、英国に行くが再び帰国。16世やアントワネットに続いて断頭台に上った。英国から再帰国したのはなぜか。ヴェルサイユにあった宝石を取り返すためだった、とする説があるが、執着ぶりが見えて、本当なら面白い。
 ジャンヌが国王の公式の愛人(そんな言い方があるのかは別にして)になるにあたって、デュ・バリー子爵(映画では伯爵)の弟と結婚、宮殿入りを果たした、という「手続き」も、現代人の理解を超える。私生児としての過去を消し、貴族階級入りするための儀式だったということか。「切腹」を書いた滝口康彦の「武士道残酷物語 拝領妻始末」の逆コースを思わせる。

 最後に、ジャンヌのマイウェンとルイ15世のジョニー・デップはどう見てもミスキャストだ。マイウェンのジャンヌは「美貌と知性を併せ持つ」という設定からは程遠いし、フランス語をしゃべれないジョニー・デップに全編フランス語をしゃべらせたのは、重荷を背負わせただけだった(といってもセリフは最小限だったが)。面白い素材だけに惜しい。
 2023年、フランス。


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