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結局、真実は分からない~映画「落下の解剖学」 [映画時評]

結局、真実は分からない~映画「落下の解剖学」


 フランスの山小屋に住む作家夫婦の日常に「事件」は起きた。最上階から夫が転落死。事故か殺人か、それとも自殺か。検察は、妻を殺人罪で起訴した。
 映画は2時間半、やや長めで大部分は法廷劇。しかし、退屈する暇がないほどドラマは緻密、重厚に展開する。どこの家庭にもある嘘と秘密が明らかになっていく。
 ドイツ生まれの妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)はベストセラー作家。「事件」の時もインタビューを受けていた。最中に大音響で音楽を流したのがフランス生まれの夫ヴァンサン(スワン・アルロー)。インタビュアーを見送った後、遺体を見つけたのは視覚障害を持つ息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)だった。サンドラは自殺か事故を主張したが、検察は殺人罪で起訴した。夫婦は前日に口論をしており、夫が録音したUSBが捜査過程で押収されていた。
 殺人を否定するサンドラに、弁護士が「重要なのはそこではなく、どう思われるかだ」と答えるシーンがあったが、この言葉がすべてを言い表している。小説家として売れている妻に、売れない夫は引け目を感じていた。そのことが夫婦の関係を壊していた。息子の視覚障害も、ある事故が原因で、わだかまりを残していた。そんな秘密が、再生された音声で明らかになった。法廷で、それらはどう見えるか。しかし、殺人を証明する決定的な証拠はない。そんな折り、アスピリンを使ってある実験をした息子の証言が、裁判の行方を決定づけた―。
 もちろん、裁判なので判決は出る。一定の結論は下されるが、見ているものがそれで心理的決着を得られるかといえばそうではなく、心象はモヤモヤである。現実の世界で結局、私たちは真実を獲得できず「真実に見えるもの」を手にするだけ、そう言っている。
 古くて恐縮だが、大岡昇平の原作を映画化した「事件」(1978)をほうふつとさせる。殺人か自殺か、法廷では結論が下されるが真実は分からない、こんなことだったと記憶するが「落下の解剖学」も、言っていることは似ている。
 2023年、フランス。監督ジュスティーヌ・トリエ。 


落下の解剖学.jpg


 


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