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日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」 [映画時評]


日常に潜む危機をこまやかに~映画「ほつれる」


 「ほつれる」。意味深なタイトルである。国語辞典(岩波)によると「端からほどけ乱れる。『縫い目が―』」とある。簡単すぎて疑問が残る。冒頭、意味深と感じた裏側には「ほどけ乱れる」ことから生まれる「うっとおしさ」があるが、そのニュアンスがにじみ出てこない。国語大辞典(小学館)によると「編んだり束ねたりしてあるものの、端の方が解けて乱れる」。十分ではないが、こちらが近いか。「編んだり束ねたり」という「意思」の存在が前提になっているからだ。積み上げたものが崩れ去る虚しさ。それがこの言葉の裏にある。
 スクリーン上で女性を描かせたら当代一といわれた成瀬巳喜男監督の作品に「流れる」(1959年)、「乱れる」(64年)があった。前者は柳橋芸者の消えゆく美しさを、後者は思いがけぬ告白に揺れる戦争未亡人の心を、こまやかに表現した。ともに昭和の名作である。

 これらを想起させたタイトルを持つ「ほつれる」。これもまた、女性の揺れる心の内を描いた。束ねた髪が乱れるように、積み上げた日常がふとしたことで足元から崩れていく。
 綿子(門脇麦)と夫・文則(田村健太郎)の関係は冷え切っていた。日常的な会話は交わすが、どこかよそよそしくぎごちない。そんな彼女には友人(黒木華)の紹介で交際していた木村(染谷将太)がいた。文則との関係が冷めるにつれ、木村への傾斜が強まった。
 ある日、彼女は泊りがけで木村と旅をする。別れ際、彼は交通事故にあい、死んでしまう。木村の妻と会い、「結婚したら一人の人としかセックスしちゃダメでしょ」と真正面から非難される。そうした事実を受け入れられない綿子は旅をする。木村との思い出の地へ。
 帰ってきた綿子は冷たい視線の夫に非難され反論するが、もはやそれは意味を成してはいなかった。
 そして彼女がとった行動は…。

 成瀬作品ほど大作ではなく、淡色の短編小説を読む味わい。日常生活にひそむ危機-行き違いから生まれる関係の空洞・冷却化をこまやかに描いた。
 2023年、監督加藤拓也。

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