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唐突なラストの持つ意味は~映画「悪は存在しない」 [映画時評]

唐突なラストの持つ意味は~映画「悪は存在しない」

 自然保護をめぐる住民と開発業者の対立。そんな話と思ったらラストは唐突に訪れる。観るものは放り出された気分だ。しかし、考えてみる。私たちはジェットコースターに乗った気分で軌道上を走り、どこかへ連れて行ってくれるのを期待している。ストーリーがうまく着地し、物語が完結するのを待つ。それは、近代社会が作り上げた慣習や常識ではないか。ひょっとするとこの映画は、そうした枠を突き抜けてはいないか。

 

 少し丹念に展開を追ってみる。舞台は長野県の水挽町(架空)。豊かな自然に囲まれ、巧(大美賀均)と花(西川玲)は湧水を汲み、薪を割って暮らす。そんな町に、グランピング計画が持ち上がった。開発を担当する芸能事務所から高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)が派遣され、説明会を開いた。浄化槽の設置場所、常勤の管理人の配置など疑問に答えられず、二人は立ち往生する。すがる思いで巧に仲立ちを依頼する…。

 本業とは違う部門でもともと乗り気でなかった高橋と薫は計画中止を提案するが、国の補助金をもらっている社長は難色を示す。

 こんなストーリーが、どこか不気味さをたたえる深い森の景色の中で展開する。

 

 高橋、薫、巧が交わす印象的な会話があった。

 「あそこはシカの通り道だ」と巧。「じゃ、柵を作れば」と高橋。「シカは2㍍も跳ぶ。3㍍の柵を作って、そんなところにだれが来るんだ」と巧。「シカと触れ合えるってどうでしょう」と薫。「野生のシカはどんな病気を持っているかわからないんだ」と巧。

 

 自然と人間社会の融合、といえば聞こえはいいが、しょせんは人間の都合で物事が運ばれている。この対立構造がラストシーンのベースになる。

 一人で森の中を歩くのが好きだった花がある日、行方不明に。日暮れて濃い霧が漂うころ、花は発見された。巨大なシカを前に、花はなぜか帽子をとる。何か対話をしているのだろうか。シカは手負いだった。襲われ、倒れる花。目撃した巧は、高橋に対して衝撃の行動をとる…。

 ラストは、見るものにさまざまな解釈を許す。言い換えれば、作品の評価のためには思索が必要である。冒頭に書いたように、ストーリーが完結し結論が目の前に提示されることはない。そうした近代的思考を突き抜けている。タイトル「悪は存在しない」もまた、近代的思考を突き抜けている。自然保護の観点から開発は悪であるとも、殺人は必然的に悪であるとも、この映画は語っていない。すべて観るものの思考にゆだねられている。

 2023年製作、監督は「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介。

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