SSブログ

家庭も孤独のリングだった~濫読日記 [濫読日記]

家庭も孤独のリングだった~濫読日記


「隆明だもの」(ハルノ宵子著)

 世に「吉本主義者」なる言葉がある。「吉本」とは、戦後最大の思想家といわれる吉本隆明のこと。全共闘世代の私自身、学生時代に読んだ勁草書房「吉本隆明全著作集」のうち、講演・対談集と初期作品集を除く13巻を今も持つ。晶文社が刊行中の「吉本隆明全集」も34巻までそろう。こういうのを「吉本主義者」と呼ぶのだろうか。

 晶文社刊の全集に付く冊子に、ハルノ宵子が父・隆明の追想記を連載した。こんなのを丹念に読む方ではないので気づかなかったが、評判がよいらしく単行本になった。

 

 徹底的に論理を重ねていく。時に力技で結論を手繰り寄せる。論争の名手。というより、バトルになればやはり力業で相手をねじ伏せる。「転向」や「ファシズム批判」で、おのれの傷口をえぐり相手を切りつける舌鋒の鋭さは、読むものを引きずり込む。そんな吉本が、家庭でどのような顔をしていたか。

 吉本は知人の妻と抜けられない関係になり、最終的に結婚した。今でいう略奪婚である。その後、二人の娘が生まれた。姉は宵子(漫画家)、妹は吉本ばなな(小説家)。妻は俳人としても知られた。

 我々は活字を通してしか、吉本を知ることがなかった。その結果形成された(神格化された?)人物像を、宵子は崩壊させる。巻末にばななとの対談も掲載、偶像は木っ端みじんになる。辛辣な皮肉も込められるが、肉親の情あればこそ。つまりは娘でなければ書けないともいえる。

 

 体の弱かった妻に代わり、家事のかなりの部分(宵子は「8割方」と書く)は隆明が受け持った。娘の弁当もつくった。中身はおおざっぱでユニークだったという。それはそれで、出来合いのイメージを覆す。作品を見ると完全主義者に見えるが、それはむしろ妻(宵子から見れば母)だったという。

 知られたエピソードでもあるが「表現者が二人いたら家庭は成り立たない」と、妻に俳人の道を断念させた。宵子は、その俳句を見たことがある。生と死、幻想と現実の境がない。第一句集「寒冷前線」が出たが父(隆明)は怒り、目にすることはなかった。

 ある雑誌、ばななとの対談で、隆明が家庭の話題に触れた(この書では具体的な内容は書いてない)。目にした妻が、自死を考えるほど激怒したという。普通の家庭ではありえないが、宵子は「表現者としての深度」の問題ととらえる。

 「対談とは果し合いなのだ。家庭をブッ壊してもいい覚悟がなければ親子同士でやるもんじゃない」と書く宵子は「(父の存命中、自分は)リングに上がる資格ナシ」だったという。父にとって家庭は癒しの場ではなく、緊張と譲歩を強いられる場所であり、それは父が過剰なまでの闇と孤独を抱えていたからだ、家庭もまた「孤独のリングだった」とする。「党派ぎらい」で通し「群れるな、ひとりが一番強い」という隆明をほうふつとさせる。

 

 1996年夏、西伊豆の海水浴場で溺れかけたことも、吉本家には大きな出来事だった。「一介の物書きジジイが溺れたと新聞のすみっこに載る程度」という予測は外れヘリは飛ぶわ、ニュース速報は流れるわ。翌日にはマスコミ数社、その後は読者が続々と宿を訪れた。幸い息を吹き返し事なきを得たが、この体験が本番(2012年)への予備知識となった。

 

 原稿の返却を求めず「いらなかったら捨てちゃってください」としたのも意外だ。書き終えた原稿を渡すことで自分の身体と精神を手放す。「父には物欲、所有欲がなかった」。これも宵子の証言である。腕時計や財布を持たず、靴はつぶれるまで履く。夏はTシャツ、冬はセーター3着を着回す。

 宵子はばななとの対談で「(父は)結婚すべき人格ではなかった」と言い切る。「妻を支えてとか、まったく期待できない」とも。家庭は風雪吹きすさぶ闘いの場だった。その中で固定した収入を得ることなく、二人の娘を育てた。これが真実かもしれない。

 晶文社刊、1700円(税別)。

隆明だもの

隆明だもの

  • 作者: ハルノ宵子
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2023/12/12
  • メディア: Kindle版


nice!(0)  コメント(0)