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薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」 [映画時評]


薄れた人生ドラマの側面~映画「春に散る」


 沢木耕太郎の、おそらく唯一の小説「春に散る」を映画化した。原作では4人のボクサーたちが「世界」をとる夢を果たせず、挫折したまま老境を迎える。ひょんなことから4人は共同生活を始め、偶然出会った若いボクサーに「世界」への夢をかける…。

 沢木には「クレイになれなかった男」「一瞬の夏」「リア」というボクサー三部作というべきノンフィクションの名作がある(自身「ノート」という形でそれぞれ第一部、第二部、第三部と位置付けている)【注】。アウトボクシングをスタイルとするカシアス内藤をモデルにした三作が「春に散る」の下敷きになっていることは、いうまでもない。

 4人のうち、広岡仁一(佐藤浩市)を軸に物語は展開する。ボクサーとして挫折した広岡は米国西海岸でホテル経営者として成功、40年ぶりに帰国する。心臓発作という爆弾を抱えた彼は、昔通ったボクシングジム(真拳ジム)を訪れ、先代を引き継ぎ経営する真田令子(山口智子)に会い、寝起きを共にした3人の消息を探る。ジム経営に失敗、借金を抱えた佐瀬健三(片岡鶴太郎)、つまらぬことで喧嘩し、傷害で刑務所に入った藤原次郎(哀川翔)、同棲していた居酒屋の女将に死なれた星弘…。人生のどん底を見た男たちだった。
 居酒屋で飲んでいた広岡は若いグループに絡まれ喧嘩沙汰に。一人はボクシングの心得があるらしかった。かつてリングに輝かしい戦績を残し、突然消えた黒木翔吾(横浜流星)だった。「やめておけ」という広岡のクロスカウンターで倒された翔吾は「もう一度ボクシングがやりたい」と弟子入りを志願する。
 広岡はジム近くに事故物件の一軒家を借り、3人と共同生活を始める。それは、若いころをなぞっただけなのか、それとも新しい何かを始めるためなのか…。

 以上は原作の大筋だが、映画ではかなりの省略が行われている。小説と映画というメディアの特性の違いを考えると、宿命といえる。最大の違いは「四天王」が「三羽ガラス」に置き換えられ、藤原と星のキャラクターが合体されたこと。原作で造形された人物像が多少粗雑に扱われたか、という思いもするが仕方ないところか。広岡が家探しをする中で知り合った若い娘・佳菜子(橋本環奈)の天涯孤独な出自も、広岡の姪という形でカットされた。真拳のライバルジムに育てられた翔吾も、まったく違う境遇に置き換えらえた。

 沢木は、広岡がなぜ40年も暮らした米国から帰国する気になったのか、翔吾はなぜ、いったんリングから去ったのか、など丹念に書き込んでいる。これらをカットした結果として原作にあった、果たせなかった夢を抱えて晩年をどう生きるのか、という人生ドラマの側面が薄くなり、広岡、佐瀬、翔吾が前面に出て「若いころの夢を再び」という単純なボクシング映画になった。時間という「尺」の問題があり、良し悪しは分からない。ただ、佐藤浩市、片岡鶴太郎、哀川翔、横浜流星は、はまり役であったと思う。
 2023年、監督・瀬々敬久。

 ところで、この一文を書くために原作をぱらぱらと読み返すうち「あとがき」でこんな言葉に出会った。

 ――私がその一年で描きたかったのは、彼(広岡)の「生き方」ではなかったような気がする。(略)鮮やかな「死に方」でもない。あえていえば「在り方」だった。

 未来のために現在をないがしろにしたり犠牲にしたりしない。「いま」を誠実に生きる―。
 ふかく共感する。
【注】「沢木耕太郎ノンフィクションⅤ かつて白い海で戦った」(2003年、文藝春秋社)所収。


春に散る.jpg



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  • 発売日: 2023/05/31
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