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差別・偏見・排外主義~映画「ヨーロッパ新世紀」 [映画時評]


差別・偏見・排外主義~映画「ヨーロッパ新世紀」


 ルーマニア・トランシルヴァニア地方の小さな村ディトラウであった外国人排斥事件をベースにした。まず、この地方の沿革史から。トランシルヴァニアはドラキュラ伝説の地で、中世の面影を色濃く残す。かつてハンガリー(マジャール人)の支配下にあったが、第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗れ、ルーマニアに割譲された。このため、村にはハンガリー人も多く住む。

 マティアス(マリン・グリゴーレ)はドイツで働いていたが、同僚から差別的な言葉を浴びせられ【注1】、暴力沙汰を起こして追い出される。故郷の村に帰ったが妻アナ(マクリーナ・バルラデアヌ)との関係はとっくに冷め切って、息子は近くの森で何かを見て失語症になっていた。行く当てもなくパン工場で働くが、経営者はかつての恋人シーラ(エディット・スターテ)だった。彼女は離婚し、一人暮らしだった(夜になるとチェロを弾いていた。魅力的な旋律は梅林茂「夢二のテーマ」)。マティアスはそこへ押しかけ、復縁を迫った。
 シーラは、パン工場でスリランカ人を二人雇い入れた。周囲の村人が不満の声を上げる。「彼らの手でこねたパンは食べたくない」「工場がモスクにされる」と、根拠のないものばかりだったが、集会は偏見で熱くなるばかりだった【注2】。
 ここで「差別と偏見」は上下左右に向けられる。マティアスがドイツで味わった上からの差別。シーラと村人の「水平方向の偏見と憎悪」。村人が抱く下への(スリランカ人への)差別。
 集会は思わぬ事態でひとまず幕を閉じる。脳腫瘍を疑われたマティアスの父が森で首を吊ったのだ。マティアス、息子、村人が現場へ向かい、遺体を降ろす。マティアスの足にしがみつき「パパ愛してる」と息子が叫んだ(言葉を失った原因は何かがこのシーンで回収される。おそらく彼は遺体を目撃していた)。
 ラスト。マティアスのもとに猟銃が返ってきた。頻繁にクマが出没するため、シーラに預けていた。返したのはクマの保護と取り組むNPOのフランス人(おそらくシーラの恋人)。シーラの自宅に向かったマティアスはシーラに銃口を向けた。「許して」と哀願され、マティアスは逆方向に銃口を向けた(撃つべきは彼女ではなく村人、という暗示?)。

 原題は「R.M.N.」。MRIのことらしい。連想させるシーンが1か所ある。父親の頭部の断面図の映像で、脳腫瘍をにおわせる。ここから、村社会にはびこる「腫瘍」のようなものとして差別、偏見、排外主義をとらえているとも解釈できる。それにしても「ヨーロッパ新世紀」とは、皮肉たっぷりなタイトルにしたものだ。「福田村事件」に似たテーマだが、遥かに厚く重い。多民族が入り組む地域だけにルーマニア語、ハンガリー語、ドイツ語、フランス語、英語(もっとあったかも)が飛び交う。
 2022年、ルーマニア、フランス、ベルギー製作。監督クリスティアン・ムンジウ。

【注1】ドイツでは第二次大戦時「ジプシー」も強制収容の対象だった。戦後「ロマ」と言い換えられたが、ルーマニアはこれも差別語と反発している。ルーマニア人には「ジプシー」も「ロマ」も差別的な言葉である。この映画では「ジプシー」と呼ばれた。
【注2】シーラはハンガリー人という設定。このこともルーマニア人を激高させる要因かもしれない。この地方にハンガリー人が多いことは冒頭にある通り。


ヨーロッパ新世紀.jpg


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