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集団の狂気が招いたむごい事件~濫読日記 [濫読日記]


集団の狂気が招いたむごい事件~濫読日記


「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生著)


 今から100年前、1923年9月1日に起きた関東大震災の混乱のさなか、流言蜚語によって朝鮮人、社会主義者、無政府主義者が虐殺されたことは、歴史的事実としてある程度知られている。しかし、細部はいまだ明らかになっていないことが多い。千葉県東葛飾郡福田村大字三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)であった香川県からの薬の行商一行9人(妊婦がおり、胎児を含めると10人)惨殺事件もその一つだ。
 なぜ事件が明らかにされなかったか。二つの大きな理由がある。一つは、加害者にとっては触れられたくない事実で、できれば闇に葬りたいという心理。もう一つは、日本が帝国への道を歩んでいたころであり「帝国イデオロギー」再編の一環として朝鮮人蔑視、社会主義・無政府主義者への警戒感を背景として流言蜚語が生まれたことを権力の側が容認する空気が、当時の社会にあったこと。福田村事件については、被害者が被差別部落の人たちであったことも声を上げにくかった理由と思われる。
 これらの壁を越え、事件の概要をまとめたのが辻野弥生だった。1941年生まれ、現在80歳を超えた女性である。まずはその執念に感服する。巻末の特別寄稿で森達也が書くように「ジャーナリストとしてのスタンス」で「精密に資料に当たり」「怒りと悲しみ」を「装飾することなく」明示している。

 事件の現場は旧地名で「東葛飾」。私は、一冊の本を思い浮かべた。川本三郎著「『男はつらいよ』を旅する」。こう書いている。
 ――もともと葛飾区は、関東大震災の時に被害が少なく、被害が大きかった本所深川から多くの住民が移り住んだ。人口が増えた結果、昭和七年(一九三二)に葛飾区が誕生した。同じようなことが東京大空襲によっても起きた。
 「葛飾」とは台地や低地が連なる土地とか、かずら(葛)が茂る土地とか、都市化されていない地域を指すらしく、かつては東京、千葉、埼玉にまたがる広大な地域を指した。二つの災難を経て、もともと郊外だった地域に多くの避難民が移り住み、東京の「下町」が出来た。「男はつらいよ」で葛飾柴又が、受難の庶民が寅さんに助けられ緊急避難する場所、と位置づけられたのは歴史の流れに沿っている。

 しかし、福田村は、震災から逃げてきた人々と受け入れ住民の間で恐怖と警戒心が行きかい、不幸な結果を呼んだ。背景には朝鮮人への差別感情と恐怖・警戒心があった。
 もう一度、時代の流れを俯瞰する。1910年、半ば脅迫的に日本は朝鮮併合を断行した。創氏改名などの植民地政策に対して朝鮮独立を目指す3・1運動が起きたのが1919年。震災はその4年後である。日本の権力者はナショナリズム高揚を恐れ、震災の混乱におびえた。そこから流言蜚語が生まれた。辻野が詳細に検証しているが、当初は内務省が「(朝鮮人の)行動に対しては厳密なる取り締まりを」と発した通達が、住民組織には「朝鮮人は殺してもよい」と理解された。不自然な日本語を使う人間はいないか、地域の自警団が「朝鮮人狩り」を行った。香川から来た四国弁の一行も「あやしい日本語」の集団とみられ、集団の狂気と呼ぶべき行為が始まった。

 事件を引き起こしたのは日本人固有の特性か、すべての人間が持つ資質か。ただ、集団が狂気に陥ったとき、個人とは全く違う行動へ走ってしまうことは、歴史上多々ある。肝要なのは事実に蓋をすることではなく、教訓として胸に持ち続けることだと思う。その意味で、この労作は貴重である。
 五月書房新社、2000円(税別)。



福田村事件―関東大震災知られざる悲劇 (ふるさと文庫 206)

福田村事件―関東大震災知られざる悲劇 (ふるさと文庫 206)

  • 作者: 辻野 弥生
  • 出版社/メーカー: 崙書房
  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本



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