SSブログ

「修羅」の幸福な見届け人~映画「銀河鉄道の父」 [映画時評]

「修羅」の幸福な見届け人~映画「銀河鉄道の父」


 吉本隆明は「宮沢賢治」の中でこう書いた。
 ――作品「銀河鉄道の夜」で、主人公ジョバンニの父は<不在>になっている。そして<不在>が、そのまま何かのおおきな暗喩を背負っているのだ。
(第Ⅱ章 父のいない物語・妻のいる物語)
 80年代後半に書かれた吉本の文章から10年余り前、つまり70年代初めに出版された中村文昭著「宮沢賢治」では、もっと直截に「父殺し幻想」―<イエ>との過酷な葛藤―が、主要なテーマになっている。
 どうやら宮沢賢治の「書く」という行為の裏側には負の存在としての<父>が、大きな影とともにあったことが推測される*。

 映画「銀河鉄道の父」を観た。
 岩手県花巻で質屋を営む宮沢政治郎(役所広司)は京都出張中に息子の出生を知り帰郷する。祖父の喜助(田中泯)によって「賢治」と名付けられた。幼いころ赤痢を患い死線をさまようが、順調に成長。中学を卒業後、家業を継ぐよう求める父と対立。賢治(菅田将暉)の主張が通って盛岡高等農林学校へ進む。このころ、農民と歩むという思想の土台が出来る。東京の女学校に通っていた妹トシ(森七菜)が結核にかかり、闘病の末に死亡。賢治は悲嘆にくれる。家は厳格な浄土真宗だったが、賢治は日蓮宗に入信。トシの野辺送りで狂信的に南無妙法蓮華経を唱え、親族を途方に暮れさせた。

 ドラマの流れの中で、いくつかのことが提示される。祖父と父の厳格な「イエ」の思想とそれに反発する賢治。トシへの愛着と死後の喪失感。こうした負の遺産が思想形成に影響したであろうことが伝わる。
 しかし、映画はこの後、賢治の思想にではなく政次郎の視線に焦点を合わせる。父は、イエの体現者ではなく、賢治の最良の読者になることを宣言する。過保護の父と放蕩の息子という幸福な関係が成立する。
 自費出版の話が出てくる。賢治の生前の自費出版として「春と修羅」が知られる。こんな言葉で始まる。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です

 虚無と哀しみ、普遍と宇宙。賢治の世界が凝縮して表現されている。ここには「父」も「イエ」も存在しない。
 しかし、映画のラストは、冒頭の吉本の指摘を裏切るように、政次郎と賢治、トシが銀河鉄道で穏やかに語り合うシーンで終わる。政次郎とトシは、ここでは37歳で夭折した「修羅」賢治の幸福な見届け人である。

 *1960年代末の学生運動~いわゆる全共闘運動では「父殺しの思想」「イエとの格闘=家父長制の否定」が底流にあったことは指摘されている。中村文昭が、こうした流れを受けて賢治の「父殺しの思想」に着目したのでは、ということも容易に推測できる。


銀河鉄道.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。