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たった一人の犠牲者に寄り添う~濫読日記 [濫読日記]

たった一人の犠牲者に寄り添う~濫読日記


「カティンの森のヤニナ 独ソ戦の闇に消えた女性飛行士」(小林文乃著)


 ポーランドのクラクフを旅したとき、ガイドの日本人女性に聞いたことがある。①アンジェイ・ワイダ監督を知っていますか②カティンの森の事件を知っていますか。
 ①については「ええ、知っていますとも。クラクフ出身の有名人ですよ」。②については「知らない」と怪訝そうな表情だった。クラクフはアウシュヴィッツ訪問の中継点としてよく利用される。私もそうだった。アウシュヴィッツの知識があるなら…という期待は裏切られた。

 ポーランドを独ソが分割した直後の1940年、連行した将校の多くが虐殺され埋められた。犠牲者の数は今も確定しておらず、2万5000人以上とも言われる【注】。現場はモスクワの南西、ヴェラルーシとの国境に近いロシア領カティン。地名をかぶせて「カティンの森事件」と呼ばれる。真相解明が遅れたのは、冷徹な国際政治のからくりが影響した。第二次大戦後、戦勝国ソ連と衛星国ポーランドは、徹底して事件を闇に葬った。それどころか、虐殺者はドイツだと強弁した。ソ連が自ら主犯であることを公式に認めたのは1990年、ゴルバチョフ大統領のグラスノースチ(情報公開)のさなかだった。事件は今も闇の部分が多い。
 犠牲者の中にただ一人、女性がいた。
 このことを知った日本の女性ライターが3度のポーランド訪問の後、書き上げたのが標題の書である。もちろん、カティンにも足を踏み入れた。

 私はこの書を書店で探す際、まず「ノンフィクション」の棚を見た。だが当該の本は「紀行」の棚にあった。「なぜ?」と思いながら手にした。読んでみると、多少その訳が分かった。
 32歳の誕生日に命を落としたポーランド空軍中尉、ヤニナ・レヴァンドフスカ。彼女はなぜ、たった一人の犠牲者になったのか。ポーランドを旅する中で彼女を知る人物を追い、生い立ちを明らかにしていく。ヤニナの人生に寄り添うことで、ポーランドの悲劇の歴史を浮き彫りにしていく。その中で、ワルシャワ蜂起の無残な結末とスターリンの非情にも、怒りを込めて触れている(蜂起後のワルシャワ市民が劣勢になる過程で、ソ連軍は川一つ隔てて静観した。戦後の主導権をソ連が握るためだった)。これはノンフィクションというより歴史紀行という方が似合っている。
 ヤニナが銃殺されて2か月後、妹のアグネシュカも別の虐殺事件の犠牲になった。ナチスの手によるものだった。その過程も、ただ文献によるのではなく市民らの記憶を頼りに掘り起こされていく。姉妹の悲劇をわが苦難として受け止める人々の声が積み上げられる。ヤニナの父ムシニツキは第一次大戦時、ボルシェヴィキと戦うポーランド軍団の創設者だった。そうしたこともヤニナの人生に影響を与えていると思われる。
 冒頭にあげたワイダ監督も、カティンの森事件で父を失った。映画化を試みたが社会主義下では許可されず、執念が実ったのは2007年、ポーランドが自由化してからだった。「灰とダイヤモンド」のような虚無的で才あふれる映像ではない、ひたすら事件を直視した映画だったと記憶する。そのことが逆に監督の凝縮した思いを感じさせた。

 カティンを訪れた帰途、著者はロシアの夕陽を見て、こう書いている。
 ――やがて日が沈むと、空一面が真っ赤に染まった。なんという赤さ。暴力的なほどの赤で大地がすっぽりと覆われて、その光景に私は思わず震える。
 いったい、何に震えたのか。歴史の闇に流れる血の赤さに震えたのではなかったか。

【注】ヴィクトル・ザフラフスキー「カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺」(みすず書房)


  • 作者: カティンの森のヤニナ: 独ソ戦の闇に消えた女性飛行士小林 文乃
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2023/03/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
カティンの森のヤニナ: 独ソ戦の闇に消えた女性飛行士

 


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