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小津作品の「戦争」にこだわる~濫読日記 [濫読日記]

小津作品の「戦争」にこだわる~濫読日記


「小津安二郎」(平山周吉著)


 以前から気になっていたが、著者の「平山周吉」はペンネームで、あの「東京物語」で笠智衆が演じた初老の男と同名である。「平山周吉」が小津安二郎を論じる。こんなバカげた話があるだろうか。そんな思いを抱きながら「小津安二郎」を手にした。
 著者もそのあたりが気になったらしく「まさか自分が小津安二郎の本を書くとは思いもしなかった」と、あとがきで弁解じみたことを書いている。「予感」があったかなかったか、本人以外知る由もないので、この問題はこのあたりでやめておこう。

 平山の著書では「満洲国グランドホテル」を読んだ。文献主義とでもいおうか、テーマに沿って日常的な書簡、雑誌の雑文に至るまで調べ上げ、当事者の行動を明らかにしていく。「小津安二郎」もこの手法は健在で、取材対象は映画や評伝にとどまらない。これを第一とすると、第二の特徴は、戦争の影を微細に拾い上げている点である。小津の作品群は嫌いではないが、なにしろ雑な観賞眼のため「麦秋」「東京暮色」ぐらいしか、戦争の影を意識したことはなかった。「麦秋」のラストシーン、揺れる麦の穂に日中戦線で亡くなった兵士の魂を見るというのは定説であるし「東京暮色」では、主人公の杉山周吉が戦時下の「京城」に赴任。その際に妻が不倫相手と出奔する。そうした過去が、小津作品には珍しい「暗さ」の基調になっている。

 小津は30代で日中戦線に赴き、山中貞雄と再会したことはよく知られる。山中は戦地で没し、小津は帰国。その後、軍の特命で仏印に向かった。国民を鼓舞する映画を撮るためだったが、作品化はならなかった。そうした単純明快な映画は作れなかったのだろう。
 先に挙げた「麦秋」のラストで小津の念頭に山中があったことは明らかだが、平山は、この作品での「異様なキャメラの動き」にも言及する。小津はローアングルの固定キャメラで知られるが、不自然なほど移動させている。山中の浮遊する魂がそうさせたのだ、と平山はいう。もう一つ、歌舞伎見物をするシーン。舞台は映らずセリフだけが流れる。「河内山宗俊」である。山中は中国へ行く前、原作にはない人物に原節子をあてて「河内山宗俊」を撮った。蓮見重彦は、原のシーンを「世界の映画史でもっとも悲痛な場面」と、最大級の賛辞を贈っている。

 「晩春」の壺のシーンにも、山中への思いを託した、とする。笠智衆と原節子の父娘が同じ部屋で就寝し「あたし、お父さんとこのままいたいの」と告げるシーンである。性的なぎりぎりの時間が流れる。キャメラは窓際の壺を凝視する。理解が難しいシーンである。小津は「丹下左膳余話 百萬両の壺」がつなぐ山中へのオマージュをこめた、という。

 「東京物語」。戦争未亡人「紀子」の原節子が「周吉」の笠智衆に別れを告げる。縁側に雁来紅(葉鶏頭)が咲いている。移動可能な鉢植えで、小津のこだわりが見える。小津の追悼文によると、山中は召集令状がきた翌日、小津宅を訪れた。庭を見て「おっちゃん、ええ花植えたのう」という。葉鶏頭が盛りだった。中国でも葉鶏頭は咲いていた。間もなく、山中の陣没を聞いたという。
 「東京物語」はモノクロである。カラーなら赤は目立ったかもしれない。しかし、小津にとってどうでもよかった、と平山は見る。だれにでもわかってしまえば、画面はあざとくなる。

 小津は志賀直哉のファンだった。「東京物語」の舞台が尾道なのも「暗夜行路」の影響だという。そういわれれば、という気もする。志賀も小津作品について「まどろっこしい事もあるけど(略)好意を持って観ているんだ」と、ある座談会で発言している。ただ「東京暮色」に関しては文豪の評価は「余り関心はしなかった」と、低かったようだ。戦時中、妻・喜久子(山田五十鈴)に逃げられた周吉(笠智衆)と夫婦仲が悪く実家に戻った長女・孝子(原節子)と大学生にもてあそばれ妊娠した次女・明子(有馬稲子)の物語。次女は自らの出生に疑問を持ちながら踏切で事故死(事実上の自殺)するというショッキングな結末。問題作に違いないが、キネ旬ベストテンでは19位と、小津作品にあるまじき順位だった。興行的にも不入りで、失敗作とされた。

 しかし近年、周吉が妻の出奔時、京城に赴任していたことに「朝鮮半島支配の残滓=帝国の残影」を見る歴史家・与那覇潤の観点もあり、評価は確定しているとはいえない。
 では、平山はどうか。明子役は当初、岸恵子を念頭に考えられていたが「雪国」の撮影が延びたことから有馬に差し替えられた、というプロデューサーの証言を拾っている。「岸さんだったら、退廃的な感じがもう少し自然にうまく出せたかもしれません」。証言は、シナリオを書いた野田高梧との不協和音にも及ぶ。「野田さんが好むような話ではないんですよ」。野田の娘・玲子も同意見で「小津さんは、父とコンビを解消すべきだったのよ」。失敗が運命づけられた作品、と多くの証言が物語る。

 うーむ、そうか。そうなのか。私は個人的に「東京暮色」は捨てがたい作品だと思う。どこかに、評価を逆転する糸口はないものか。
 新潮社、2700円。



小津安二郎

小津安二郎

  • 作者: 平山 周吉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/03/29
  • メディア: 単行本


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