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虚構と虚構が交錯して~映画「ベルイマン島にて」 [映画時評]

虚構と虚構が交錯して~映画「ベルイマン島にて」


 イングマール・ベルイマン(19182007)。スウェーデン生まれの映画監督。195060年代前半にピークを迎えた。したがって、我々から見ると同時代というより一つ前の世代という印象。形而上学的で難解な作品が多く、何本か見たことはあるが内容はほとんど覚えていない(というより、理解できなかったというほうが近いか)。フランス・ヌーベルヴァーグに影響を与えた、といわれる。
 その巨匠の名をかぶせたタイトルの映画が公開された。なんとなく気になり、観た。

 舞台はスウェーデンのフォーレ島。ベルイマンが住み、彼の作品にも登場した。それでベルイマン島と呼ばれるらしい。やってきたのは映画監督のカップル(夫婦なのかどうかよくわからない)。60代らしい男性のトニー(ティム・ロス)は既に名を成したようだが、40代らしい女性のクリス(ヴィッキー・クリープス)はまだ駆け出しのふう。二人とも、というか特にクリスはスランプのようだ。飛行機から船に乗り継いだ時も、調子は悪そう。
 二人は、ベルイマンの住んだ家とか、ゆかりの地をめぐりながら新しい映画の構想を練る。取り巻く風景はとても美しい。ガイドブックや地図を見ながら「ベルイマンめぐり」をするが、分からないところを訪ねても島の住人は答えてくれない(知らないはずはないのだが)。このあたり、巨匠と住人の微妙な意識差が浮かぶ。
 二人は滞在中、新しいシナリオに取り組む。トニーは比較的順調に筆が進むが、クリスはほとんど進まない。トニーの作品の上映会が開かれ、途中で抜け出したクリスが学生風の若者と出会い、ドライブを楽しむシーンが挟まれる。
 長いストーリーの結末に悩むクリスは、トニーに評価を聞く。ここから、新しいシナリオが映像として動き出す。つまり、映画の中に別の映画がはめこまれる。

 初めの出会いは早すぎた、二度目は遅すぎた、という恋の物語が始まる。エイミー(ミア・ワシコウスカ)とヨセフ(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)の「白いドレス」。エイミーは友人の結婚式のためフォーレ島を訪れた。かつての恋人ヨセフと出会う。穏やかでない心情が、彼女のドレスに現れる。エイミーは白いドレスしか持ってこなかった。花嫁以外は白いドレスはダメといわれ、オフホワイトでもダメなの?と反論するが結局、白いドレスはあきらめる。そんな中、いったんは関係を復活させたかに見えたヨセフは去っていく。こんなストーリーが入れ子構造のように展開する。そしてエイミーの前から消えたヨセフが、クリスの前に現れる(なんという展開)。
 時は過ぎた。フォーレ島に降り立ったトニーは少女を連れていた。その子をクリスが抱きしめる。
 トニーとクリスの関係はミア・ハンセン=ラブ監督のパートナーだったオリヴィエ・アサイヤス監督との関係が下敷きになっているという。二人はその後、関係を解消した。実生活が投影されているとすれば、ラストシーンは「別人」となった二人がフォーレ島で再会した、という意味になる。

 で、ベルイマンはどこに出てくるのかといえば、これがよく分からない。映像的にベルイマンのオマージュが込められているのか、といえばそれを判断するだけの知識はないのでなんとも言えない。ただ、新しい作品を求めて苦しむ二人の「悶え神」【注】として見守っていた、といういい方はできるのかもしれない。二重の構造を持つ虚構が行き来するという不思議な作品。なんということのない日常の風景が、あの手この手で「映画」に仕立てられている。この辺が、ひょっとするとベルイマン的なのだろうか。
 2021年、フランス、ベルギー、ドイツ、スウェーデン合作。

【注】「苦海浄土」の石牟礼道子によれば、民の苦しみを共有し悶え見守ることで加勢する神。


ベルイマン島にて.jpg


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