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まさに柄谷ワールド~濫読日記 [濫読日記]

まさに柄谷ワールド~濫読日記

   

「坂口安吾論」(柄谷行人著)

 

 柄谷行人を「文芸評論家」と形容するとき、何かしらの違和感を覚える。寸足らずの上着を着ているかのような違和感である。彼は、文芸評論家に収まらぬ、哲人、もしくは思想家としての存在に思える。その柄谷が「坂口安吾論」を書いた。果たしてこれは、文芸評論と呼ぶべきか。やはり、そうではないように思う。文芸評論をはるかに踏み越えたもののように思う。坂口安吾(柄谷は、必ずしも「小説家」というカテゴリーではとらえていない)をテーマとした思想論集と呼ぶのが、最もすわりがいいだろう。

 

「堕落」は正当に理解されているか

 

 坂口安吾といえば、代表的な著作は「堕落論」であり、それをもって終戦直後の無頼派の一人と一般的に理解されている。ここで安吾が言う「堕落」とは何か。少し長めに引用する。

 

 日本国民諸君、私は諸君に日本人、及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。

 天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花は望むことができないのだ。(略)私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺制のからくりにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。(「続堕落論」から、「坂口安吾論」から孫引き)

 

 手元の辞書を引くと、堕落とは「まともな道が歩めなくなって悪の道に落ちること。健全さを失って低劣になること」(岩波「国語辞典」)とある。安吾は「からくりにみちた『健全なる道義』」から「真実の大地」へ転落せよといっているのだから、まさしく安吾の説く「堕落」は、一般的な意味とはあべこべである。

 

 では、安吾はどのような「堕落」を説いているのか。柄谷の「坂口安吾論」の肝心な部分もここにある。世間的な常識や一時の皮相な観念を取り払い、人間の根源的な存在の部分にまで降り立ってみる。フロイト風に言えば、無意識的な次元の超自我の世界。おそらくそれを、安吾は「堕落」と呼んでいる。別の言い方をすれば、ラディカル(根底的)な思考こそが必要である、といっている。こうした主張が、終戦直後という時代の風景にマッチし、安吾を一躍、流行作家に押し上げたのではないか。安吾が時代に乗ったわけではなく、時代が安吾に乗ったのである。

 言い換えれば、安吾は「終戦直後」という時代状況が産み出したか、というとそうではない。柄谷がこの「坂口安吾論」を、「日本文化私観」を安吾が戦後に書いたものと誤解していた、という体験から書き始めていることも、そのことと関係している。「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ」という「日本文化私観」で書かれた風景は、終戦直後のそれではなく、戦前の日本の風景に安吾がすでに込めた感慨であったと、柄谷は指摘する。安吾の一時的、皮相的でない、戦前とか戦後とかを問わない、別の言い方をすれば、日本の風景やふるさとにこめた他に類を見ない独自の思想を、柄谷は指摘している。

 

「堕ちきらぬ」戦後思想への絶望

 

 実はここに収められたエッセーは、20年前に書いたものだと、著作の中で柄谷自身が明かしている。ではなぜ今、坂口安吾論なのか。

 「堕ちきるまで堕ちよ」という安吾の言葉に、そしてそこからの新しいモラルの模索に、柄谷自身が今の時代と重ね合わせ、共感する部分が多いからではないか。言い換えれば、上面だけの生半可な救済が横行し、「堕ちきる」ことのない戦後思想にうんざりしているせいではないか。柄谷による、安吾の思想についての根源的な、そして興味深い指摘がある。元マルクス主義者たちとの交友に触れた部分である。安吾の「絶望」の深さと独自性が分かる。

 

 安吾は平野謙や荒正人が弾圧による転向を通してもった「絶望」を最初からもっていたのである。

 

 安吾は、けっして近代的な意味での「小説家」ではなかった。ある作品は小説的エッセーであり、ある作品はエッセー的小説である。ある作品は社会派ファルスであった。しかもその思想は独立峰とも呼ぶべきもので、近代のジャンル分けで特定できるものではなかった。戦前か戦後か、どころか、明治の作家であってもおかしくはなかった。こうした不可思議な安吾という存在を窓口に、フロイトやカント、そしてマルクスを援用した柄谷ワールドが縦横に展開されたのが、この「坂口安吾論」であろう。

 インスクリプト、2600円(税別)。


坂口安吾論

坂口安吾論

  • 作者: 柄谷行人
  • 出版社/メーカー: インスクリプト
  • 発売日: 2017/10/14
  • メディア: 単行本

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