自らの「特攻体験」への決別~濫読日記 [濫読日記]
自らの「特攻体験」への決別~濫読日記
「死の棘」(島尾敏雄著)
嫉妬に狂う妻。その表情を延々と観察し、記録する。精神に異常をきたした妻は、大理石のように冷たい視線で、夜を徹して夫を査問する。それはもはや感情を持たない尋問マシーンのようだ。こうした日々に耐えかねて、夫もまた発狂寸前(あるいは既に発狂していたのかもしれない)に追いつめられる。
ここに出てくる夫は島尾敏雄自身であり、妻は島尾ミホであることが知られている。ノンフィクションではないからすべてが事実とは限らないが、かなりの部分が島尾夫婦に共有された日常であろうことは推測がつく。
この小説を読んで暗く救いのないトーンを読み取ることは簡単である。しかし、そんな中に実は、ミホの純真さからくるある種の明るさ、希望、夫婦の絆を読み取ることもできる。事実、ミホはその後、精神の異常を克服する。
島尾は終戦の直前、加計呂麻島で特攻隊長として死と直面する日々を送った。隊員は52隻のべニア製ボート「震洋」で250㌔の爆弾とともに敵艦に突っ込む予定だった。しかし、特攻命令が出たとたん終戦を迎えた。島尾にとって1年半、必然であった「死」が目前で消えたのである。そこから、島尾の「戦後」は始まった。
「死」を伴わない特攻体験を経た島尾は、膨大な死を伴う特攻体験を経た吉田満(「戦艦大和ノ最期」著者)と昭和52年夏に対談している(「特攻体験と戦後」)。奇しくも「死の棘」が出版されたのと同じ年である。この中で島尾は、こんなことを言っている。
――あれ(特攻体験)をくぐると歪んじゃうんですね。
(略)
――その30年の積み重ねの中で、なんとなく日常というものが分かってきて、そして、その時に、やっぱり日常じゃない異常な事態を自分が体験したということが、なにか、くっきりしてきたような気がするんです。
乗組員3000人余のうち生存者276人という海戦をくぐり抜けた吉田は、その体験を「ちょっと手のつけようのないもの」として、戦後にそのまま持ち込むことを拒絶している。しかし、島尾にとって、意識的か無意識的かは別にして、特攻体験が「死」を伴わなかったがゆえに、そのまま戦後へと持ち込まれた節がある。すなわち、島尾にとって「特攻」は昭和20年8月15日をもって終わることはなかった。
島尾敏雄とミホは、「死」と向き合うことを余儀なくされた加計呂麻島の時間の中で結ばれた。二人の結婚は、特攻隊長であった島の時間をそのまま戦後に持ち込むことに他ならなかった。
「死の棘」の最後で、島尾はこう書いている。
――この世で頼りきった私にそむかれた果ての寂寥の奈落に落ち込んだ妻のおもかげが、私の魂をしっかりつかみ、飛び去ろうとする私のからだを引き付けてはなさない。(略)その妻と共にその病室のなかでくらすことのほかに、私の為すことがあるとも思えなかったのだ。
吉田は「戦艦大和ノ最期」を書くことで死者を弔った。島尾は「死の棘」を書くことで自らの特攻体験の「その後」をかたちとし、そのことで特攻体験と決別し、自らを含めた鎮魂の歌を歌ったのであろう。その意味では「死の棘」は戦後私小説であるとともに優れた戦場文学でもある。
「死の棘」新潮文庫、840円。
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