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「流砂のなかで」(辺見庸×高橋哲哉)~濫読日記 [濫読日記]

「個」として情況に立ち向かう~濫読日記

「流砂のなかで」(辺見庸×高橋哲哉)

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 高橋の「あとがきにかえて」を読むと、二人の対談は3回目という。1回目は1999年。冷戦が終わり、日本が戦後民主主義から逆コースへと進み始めたころである(森達也はその起点を、オウムによる地下鉄サリン事件があった95年とする)。2回目は2002年夏。前年に911があり、「テロとの戦争」が始まった。それから13年を経て「2015年の夏の終わり」(高橋)、3回目があった。この書はその記録である。高橋は「声をかけられるのは、いつも決まって尋常ではない時だ」という。ではいま、何が「尋常ではない」のか。そして「尋常ではない」時の、われわれわれの行動様式とふるまいとは。これが、対談で語られたことである。
 「尋常ではない」今の時代は、どんな時代なのか。辺見はそれを「新たなる『戦争』の予覚」と表現する。その「戦争」とどう関係を取り結ぶべきかを、率直に語れる相手として、高橋の顔が浮かんだという。しかし、それは辺見と高橋の思考が似ているということを意味しない。さまざまな意味で、二人は相いれない思考の土壌を持つ。しかし、そこにこそ、対談をする意味があるのだと辺見はいっている。

 「わたしたちはみんな一緒だ」という言い方がある。311の後、AC広告が流したのはそうしたメッセージだった。だが、これは極めて危険な種を胚胎している。みんな一緒ではないのだ。「みんな違う」ことを認識することから始めなければならない。それが、ここで語られている。


 戦争、天皇制、安保法制、戦後民主主義が主なテーマとして語られ、おおむね二人は、意見の違いはあっても共通の土俵でわたり合っているように見える。だが、最終章の「沖縄」に関しては、二人の意見は交差していないようだ。というより、辺見と高橋という「思考の『組成』のことなり方」(辺見の「まえがきにかえて」から)が、分かりやすい形で出ている。
 高橋の「沖縄の米軍基地『県外移設』を考える」を読み、辺見は「仰天し、面食らった」。沖縄の米軍基地を本土が引き受けるべきだ、としている点についてである。それは、戦後の反戦平和運動が、米軍基地を沖縄に固定した、という主張への懐疑にもつながる。二人は、日米安保は不要、という出発点については共通する。しかし、そこからが違う。高橋は、沖縄に米軍基地が押し込められた経緯を見るとき、そこに「犠牲の論理」が働いており、それは戦後の反戦平和運動の責任でもある、として、ひとまず本土が基地を引き受けるべき、という論理を展開する。辺見はこれに対して、沖縄に米軍基地がある、という情況に、わたし(たち)はどう向き合うべきか、という個的な責任の取り方が書き込まれていないと指摘する。
 これは、一つの山に登るのに、Aという登山道を通るのか、Bという登山道を通るのか、といった違いに見える。しかし、どちらを取るかは「偶然」ではなく、「思考」の「組成」の違いによる。「わたしたちはみな同じでなく、みな違う」のだから、それぞれの個体が責任を取りつつ情況に立ち向かう。これが、対談で大枠語られたことであろう。
 このほか、いくつか印象の残ったこと。
 1975年の昭和天皇会見。「原爆投下をどう思うか」という記者の質問と「戦時であり、やむを得ない」という天皇の回答が注目を浴びたが、対談ではその前の「戦争責任」に対する天皇の答え、すなわち「言葉のアヤ」発言をとらえ、「戦後民主主義を空無化する発言」(高橋)、「日本の一切の言説はノックアウトされた」(辺見)と一致した見方を示していること。ただ、辺見はそのころ現役の記者として「深い問題意識はなかった」と振り返っている。まさにこの天皇発言に関してメディアの目立った反応はなかった。一切を無化する天皇の磁場は強力であり、その延長上に今日の安倍政治の凶禍があると、辺見は指摘する。
 SEALDsについて。辺見は闘争や運動ではなくフィノメノン(現象)ととらえる。組織主体がはっきりせず、権力との摩擦を避ける。辺見は「現在のビートに乗れない」ともいう。これは同感である。むしろ、いまのありようは、新たなファシズムにつながりかねない危険性を予感させる。辺見も「『反ファシズム』と『ファシズム』の距離は、じつはそんなに遠くない」と語っている。
 ISについて。高橋は国民国家システムを超えた存在、という意味で、ISはかつての日本軍に通じる、という。それは国家の持つ本質が暴力であるということであり、そのことがむき出しになったのだ、と辺見も応じている。そこでは、民主主義は迂遠な口実に過ぎないともいう。ISに国家の本質を見る視点は、斬新であった。
 辺見が「1★9★3★7」を脱稿して間もなく、その余熱の冷めぬころに行われたこの対談、極めて刺激的で根底的であることは間違いない。

【注】19751031日、日本記者クラブ代表との会見で、「陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」という質問に昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」と答えた。

 もうひとつの「原子爆弾投下の事実を、どうお受け止めになりましたか」という質問に対して、天皇は「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます」と答えた。二つの質問は、事前に提出されていた質問ではなく、関連質問として出た。

「流砂の中で」は河出書房新社刊、1300円(税別)。初版第1刷は20151220日。辺見庸は1944年石巻市生まれ。共同通信記者から作家。「自動起床装置」で芥川賞。高橋哲哉は1956年、福島県生まれ。東京大教授、哲学者。著書に「靖国問題」「国家と犠牲」「犠牲のシステム 福島と沖縄」

流砂のなかで

流砂のなかで

  • 作者: 辺見 庸
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/12/25
  • メディア: 単行本

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