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凄絶な想像力~濫読日記 [濫読日記]

凄絶な想像力~濫読日記


「時間」(堀田善衛著)

時間.jpg 南京事件を書いた作品として、石川達三の「生きている兵隊」が知られる。1937年、日中戦争に応召した火野葦平が従軍記者として活躍していたのが、おそらく刺激になっていたのであろう。石川は37年暮れ、中央公論社特派員として中国に飛ぶ。南京事件さなかである。石川はその時の様子を小説にまとめるが、書こうとしたものは、火野と同じく戦線での兵士の活動ぶりである。しかし、火野が当時、日本軍の闇の部分は書かないよう厳しく言いわたされていたのと違い(後年、火野はそのことを「メモ」として残している)、石川にはその意識がほとんどなかったようだ。それが、「生きている兵隊」の発禁騒動につながっている。それゆえに石川の作品は「反戦作品」と見られがちだが、違っている。彼は「書きすぎた」だけであり、ベクトルの方向性は火野の「麦と兵隊」など一連の作品と違っているわけではない。むしろ、火野の後を追い、火野を追い越そうとしたのが石川だった。

 火野や石川が、軍国主義一色だった時代の「時流に乗る」ことをめざしたのに比べ、堀田善衛の「時間」は、ある意味ひっそりと刊行され、そのまま時代の注目を浴びることはなかったようだ。ちなみに刊行は1955年である。

 この書の特徴は、インテリ層と思われるある中国人(堀田自身がモデルともいわれる)の目を通して南京事件を見ていることである。いま、南京事件はあったかなかったか、などという空疎な議論がまかり通るが、堀田は日本人ではなく中国人の目で南京事件を見ようとしたのである。そうした手法があまりにラジカル(根底的)であったため、逆にこの「時間」という作品はほとんど世間から注目されることなく(というか疎んじられ)、時代の記憶から薄れていったのではないか。

 当時の日本兵にとって、中国戦線は「非日常的空間」である。であればこそ、非道な行為が行えたのではないか。虐殺、略奪の限りを尽くした兵士たちは日本に帰り、知らぬ顔をして再び日常の中で平凡な一市民として暮らすことに何らの違和感も持つことがなかったのではないか。

 しかし、虐殺を見る目が中国人のそれであったとすれば、その残虐は日常と境界線のない空間の中で行われることになる。そのことを、堀田は「屍体と猫」という組み合わせで描写する。街で見かけた屍体ののどに、何やら白いものが見える。よく見るとそれは猫であった。猫は、屍体の最も柔らかい部分を食いちぎっていたのだ。猫の口元、咽喉、足は紅に染まっていた―。

 凄みのある壮絶さが、この情景には漂っている。「凄み」は猫という日常の生き物と屍体が同居することによって生まれている。日軍(日本軍)は捕虜をことごとく殺し、「積屍丘を成せしとも云う」。その「積屍」のなかに、胴体は全く傷がない屍体がある。ただ肩だけが、苦悶にみちてねじれている。「ところで、この屍には首がなかった」―。

 堀田は、こうした時間を、たとえば次のように書く。

 ――この滅亡という、美しくかつ絶望的な光りに照らし出された幸福な状態は、反面我々が陥っている病的な証明でもあるのだ。既に死者を見ても、負傷者を見ても、本当には心を動かさなくなっている。死者と生者の距離が、けじめがそんなにはっきりとしたものではなくなりつつあるのだ。

 作家の想像力の凄絶な輝きをこれほどまでに見せつける作品を、私はほかに知らない。にもかかわらず、堀田が描いた「南京事件」は今日なお未完である。辺見庸のあとがきによれば、「未了のまま昏(くら)い空に宙づりになっている」、それが南京事件である。堀田はそのことからくる「絶望的なふかみ」を、この「時間」を書くことによって知ってしまったのではないかと、辺見は言っている。

 「時間」は岩波現代文庫刊。20151117日、第1刷。980円(税別)。堀田善衛は191898年。作家、評論家。日中戦争末期に中国にわたり、上海で敗戦を迎える。中国国民党中央宣伝部に徴用され、47年に帰国。「方丈記私記」「ゴヤ」など著書多数。


時間 (岩波現代文庫)

時間 (岩波現代文庫)

  • 作者: 堀田 善衞
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/11/18
  • メディア: 文庫

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