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ジャーナリズムとメディア・リテラシー~濫読日記 [濫読日記]

ジャーナリズムとメディア・リテラシー~濫読日記

「NHKと政治支配 ジャーナリズムは誰のものか」(飯室勝彦著)

「安倍官邸と新聞 『二極化する報道』の危機」(徳山喜雄著

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「NHKと政治支配」は現代書館刊。1700円(税別)。初版第1刷は2014820日。飯室勝彦氏は1964年に中日新聞入社。東京、名古屋社会部などをへて論説委員、論説副主幹。2003年から2012年まで中京大教授兼中日新聞論説委員。

「安倍官邸と新聞」は集英社新書。760円(税別)。初版第1刷は2014817日。徳山喜雄氏は1958年生まれ。写真部次長、AERAフォトディレクターなどをへて朝日新聞社記事審査室幹事。



 
















  NHKと朝日新聞が揺れている。NHKは度重なる政治介入に加え籾井勝人氏という見識のない経営トップを戴き、官邸のプロパガンダ機関と化しつつある。朝日新聞は「慰安婦」報道での吉田清治証言取り消しに続いて、吉田昌郎・福島第一原発所長の事故聴取記録、いわゆる「吉田調書」が誤報であったと朝日自身が認めたため、保守系メディアから聞くに堪えない罵声が浴びせられている。

 「慰安婦」をめぐる吉田証言は、1990年代初期から信ぴょう性に疑問があるとされてきたにもかかわらず、証言を否定してこなかった朝日の姿勢にも問題がある。しかし、吉田清治証言の否定によって旧日本軍の「慰安婦」制度自体が否定されるわけもなく、吉田証言に依拠しているわけでもない河野洋平官房長官「談話」の内容までもが否定されるわけでもない。戦時下の日本軍が女性の人権侵害を公然と行ってきたことの是非が問われていることは、きちんと見るべきであろう。

 NHKは、年間予算6千億円以上という世界でも類を見ない巨大メディアである。その事業規模は、これまで目標としてきたとされる英国BBCをも上回る。しかも、事業収入の実に98%が、受信料によっている。民間キー局のように浮き沈みのある番組CM料が頼りの経営構造とは違う。だからこそ、いまや民間局では絶滅危惧種であるドキュメンタリーも腰を据えて、ヒトもカネも注ぎ込んでつくることができる。そしてなにより、NHK放送網は日本列島のほぼ全域をカバーする。

 公共性とは「言葉と行為の共有」から生まれる「一種の組織された記憶」であるから、「人びとが見られ、聞かれ、そして一般に、仲間の聴衆の前に姿を現すことから生まれてくる」リアリティに裏打ちされているとするハンナ・アレントの定義に従えば、NHKほどこの「公共性」形成に資する存在はない。だからこそ、政治権力者は、これを自由に操るための手立てをあれこれ考える。

 以上のような状況を確認しつつ「日本は世界的にほぼ唯一の、一定の質が担保された低廉なプレスが全国くまなく普及している国である」という山田健太・専修大教授の認識を踏まえて、朝日・NHK問題を考えていく必要があるだろう。

 NHK問題を掘り下げた飯室勝彦氏は元中日・東京新聞論説委員。長年、マスメディアやジャーナリズムの問題を追及してきた。この著書でもNHK問題を通してジャーナリズムの原点とは何かに言及する。

 まず取り上げるのは、2000年から01年にかけての「女性国際戦犯法廷」特集番組に対する安倍晋三、中川昭一両自民党代議士による政治介入問題である。詳しい事実経過は省くが、まず焦点を当てるのは「編集権とは何か」である。この問題では、「編集権の自立」が市民団体からの批判を避けるための道具として使われる一方、政治家とは臆面もない擦り寄りぶりが明らかになる。もとより、NHK予算は国会の承認を必要とするため、政治家の圧力には弱い。編集権の自立とは報道の自由を担保するものであり、それは何より国民の「知る権利」に根差したものであるという原点への考察を、著者はかなり詳しく行う。そして「編集権のダブルスタンダード」はメディアの自殺行為であると結論付ける。

 ここから、NHKをめぐるあらゆる問題をとらえ直していくべきであろう。籾井会長は就任会見で「政府に逆らわないNHK」を目指すと言明し、その後、「言うべきでない場所で言った」ことは謝罪したが、発言内容は修正しなかった。飯室氏の論を持ち出すまでもなく、発言内容そのものがおかしいのであるから、放置すればNHK自体が国民の側にではなく、官邸の側に自動的にスタンスを変えていくことは自明であろう。

 飯室氏はここから「客観報道とは何か」「ありのままの報道とは何か」に言及、「ジャーナリストはニュースの観察者、報道者に徹すべきでありニュースの当事者になってはならない」と、政界再編に関わった渡辺恒雄・読売新聞会長の言動を批判する。

 語られるのは、NHK問題を切り口としたジャーナリズム論であり、メディア批判である。

 一方、「安倍官邸と新聞」の著者・徳山喜雄氏は朝日新聞の記事審査室幹事。社内で日々の記事に対してコメントを発し、紙面の方向性を確認する立場にあると思われる。この書では、朝日に限らず他紙も俎上に乗せて新聞メディアの行方を追う。タイトルに「二極化する報道」とあるように朝日、毎日、東京を一つのブロックととらえ、読売、日経、産経をもう一つのブロックととらえる見方を示している。前者は革新的、後者は保守的なメディアと言い換えられよう。2013年4月段階で朝日などのグループの発行部数は1154万部、読売などのグループが1441万部である。

 主な項目は「改憲」「秘密保護法」集団的自衛権」「原発」、そして「靖国」「NHK」で、それらをまとめて貫くのは「政権との距離」という視点である。後は、これらのテーマに沿って各紙の紙面が批評されるという構成をとっている。

 興味深かったのは、メディアの二分状況を指摘しながらも、日経新聞の特異な位置取りに関心を払っている点だ。例えば「集団的自衛権」「原子力」に関する社説で、日経が論点を二分化せず議論の幅を広げる方向で論を展開している、と指摘する。

 NHK問題も、詳細に問題のありかを提示する社もあれば、事実のみを簡単に書く社もある。こうした状況は、かつての55年体制のように二項対立的な議論を招き、互いに言いっぱなしに終わる懸念があるという。「主張のための主張」ではなく、読者に考えさせる報道を、と著者は言っている。

 かつて「日本語版ニューズウィーク」誌で編集に携わった経験を持つ菅谷明子氏は「ニュースは現実そのものを伝えているものではない」との観点から、メディアが送り出す情報を、意図を持って構成されたものとして、積極的に読み解く力を養うためにメディア・リテラシー(メディア教育)が必要だとした【注】が、徳山氏の著書は、飯室氏のそれより菅谷氏の見方に近い

 ともあれ、メディアが揺らぐ今こそ、ジャーナリズムの原点への考察も、メディア・リテラシーも、ともに必要であることはいうまでもない。

【注】「メディア・リテラシー 世界の現場から」(岩波新書、2000年)

NHKと政治支配―ジャーナリズムは誰のものか

NHKと政治支配―ジャーナリズムは誰のものか

  • 作者: 飯室 勝彦
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2014/08
  • メディア: 単行本

安倍官邸と新聞 「二極化する報道」の危機 (集英社新書)

安倍官邸と新聞 「二極化する報道」の危機 (集英社新書)

  • 作者: 徳山 喜雄
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/08/12
  • メディア: 新書

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BUN

メディアへの過度の信頼は危険だが、我々にはマスメディアからの情報しか選択肢がない。メディアは、ウソをつくし間違い、あおる。先のSTAP騒動。論文に不備があるという、当たり前の出来事を大々的に放送し、自殺者を出し、研究者を追いかけ怪我までさせた。あまたある論文で、不備なものはいくらでもあるはず。いいニュースを最大限持ち上げ、失敗だと一転地獄ににまで引きずり下ろす。朝日を購読してないので、記事は読まなかったが、先の慰安婦記事や吉田証言の記事を誤報と認めたという。日本や日本人、政府を悪く言えば、核心を突いたような雰囲気が確かにあったように思う。だが、政府や官僚の悪巧みの仕組みを暴けなくなったらメディアの終焉だろう。健全なメディアの成長を望む。いずれにしても日本人でよかった。
by BUN (2014-10-13 22:59) 

asa

BUNさん
いまや、すべてのメディアは偏向している、と思うべきです。
かかったバイアスを、自分なりに修正して情報を読み解く作業が必須のようです。残念ながら。
by asa (2014-10-21 18:38) 

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