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西川美和の人間博物館~映画「夢売るふたり」 [映画時評]

西川美和の人間博物館~映画「夢売るふたり」


 西川美和は人間観察の天才だ。出版社で編集部に行きたがる女、男に貢ぎたがる女、重量挙げに生きがいを見いだす女、ハローワークで出会った、まじめ一方の女。それぞれが放つ言葉や、あるいは放たれた言葉へのリアクションが、ぞくっとするほどリアルだ。その中で、ずしりと存在感を持つのが、松たか子の演じる一澤里子である。

 西川は「ゆれる」(2006年)で、兄弟の心理を鮮やかに浮き彫りにした。オダギリ・ジョー演じる都会のカメラマンと、地元でガソリンスタンドを経営する兄(香川照之)の愛憎入り混じる意識の交錯を、渓谷の揺れるつり橋にダブらせて見事な映像だった。

 新作「夢売るふたり」は「ゆれる」とは一転して、女性の心理のひだをどこまで映像化できるか、という挑戦のように思える。その意味では里子の夫である貫也(阿部サダヲ)は付け足しにすぎない。

 料理人の貫也とその妻里子は苦労の末、小さな店を持つ。5周年の日、店は火事で焼けてしまう。自暴自棄に陥り泥酔した貫也は駅でなじみ客の女性と会う。その女性と貫也は酔った勢いで寝てしまう。別れ際、その女性がある男から受け取った「手切れ金」を、貫也はそのままもらって帰ってくる。

夢売る二人.jpg 

 貫也はごまかそうとするがごまかしきれず、里子は夫の小さな異変の中で、そのカネがどんな状況で渡されたかを見抜いてしまう。しかし、そこから里子は一つのストーリーを見いだす。すなわち、貫也が女性から金を引き出す才能があることに目を付けたのである。口上がうまいとか、そんな表面上のことではない。女性の孤独な心理にわが身上をオーバーラップさせていく、あるいは共振させていく「能力」のことである。

 この能力を生かせば、新しい店の開店資金が出せるのではないか。そう思ったふたりは以後、結婚詐欺にまい進する。そしてついに、念願の店を手に入れるところまで行きつく。だがここにいたって誤算が生じる。女性の抱える魂の孤独感につけこんで、そこにわが魂を重ねていけば、それぞれの女性の孤独は貫也の魂に憑依(ひょうい)するのである。それは、里子とのこんなやり取りに現れる。

 ある小さな古い店を任された貫也は仕込みの最中、店に現れた里子にこう言う。

 「俺が女の股ぐらに顔を突っ込んでいることに、おまえは仕返しをしたいんだろう」。怒った里子はしかし、あと一歩のところでやんわりとかわす。このシーンは、なかなかの名場面、とみた。西川美和はこの作品を「現代の夫婦善哉」にしたかったと言っているが、森繁久彌・淡島千景の「夫婦善哉」に比べて、松の演技にはずっと魔性が出ている。詩人を支えて居酒屋で働く女を演じた「ヴィヨンの妻」(2009年、根岸吉太郎監督)で、松はただ誠実さを演じたが、ここでは魂の深淵を垣間見せるところにまでたどりついている。

 カメラワークも見事といえる。夜明け前、夕暮れ時の東京の整然とした街並みが出てくるが、そこにはまったく人がいない。人間はそんな都会の遠景にではなく、もっと地べたに近いところで心の空洞を抱えながら生きているのである。それも、映像からは伝わってくる。


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サンフランシスコ人

西川美和がサンフランシスコに....

http://jffsf.org/2013/miwa-nishikawa/
by サンフランシスコ人 (2013-07-13 07:27) 

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