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切断された被爆の記憶~濫読日記 [濫読日記]

切断された被爆の記憶~濫読日記

「核エネルギー言説の戦後史 1945-1960」(山本昭宏著)

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 「核エネルギー言説の戦後史1945-1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」は人文書院刊。2400円(税別)。初版第1刷は2012年6月20日。著者の山本昭宏は1984年、奈良県生まれ。京都大大学院文学研究科博士後期課程指導認定退学。日本学術振興会特別研究員。京都大文学部、立命館大経済学部非常勤講師。現代文化学、メディア文化史専攻。

 











 
 

 福島第1原発事故は、一つの時代の始まりを告げた。「福島以後」という時代である。それは何を意味するか。あるいは内包するか。「原子力の平和利用」という概念の崩壊であろう。原子力の平和利用は、100%の安全が前提でなければ成立しない。その、100%の安全という前提が崩れた。原子力の安全神話が、文字通り「神話」であったことが目の前で明らかになった。

 その地点から「原子力時代」を振り返ってみる必要がある。「原発=原子力の平和利用」は、もちろん広島への原爆投下以後に生まれた概念である。それは、日本の戦後史の中で日本の復興(民主主義化、経済成長、軽武装=安保体制)の推進エンジンとして組み込まれた。そこには日米両国の思惑がからみ、世論への工作が行われた形跡がある。そのことを検証するための一つの資料は、有馬哲夫著「原発・正力・CIA」であろう。しかし、この書からは米国の思惑と工作ぶりは分かっても日本人、もっと狭く言えば被爆者がなぜこうした米国の思惑を受け入れたか、言い換えれば「原発=原子力の平和利用」を抱きしめたか、が明らかにならない。

 長い回り道をしてしまったが、山本昭宏がこの書を著した「動機」はこのあたりにあり、「序章」では彼自身の言葉で丹念にそのことが書きしるされている。この序章が、大江健三郎が「世界」2011年5月号に書いた、ある一文で始まっていることは象徴的である。
 

 広島の後で、同じカタスロフィーを、原子力発電所の事故で示すこと、それが広島へのもっともあきらかな裏切りです。
 

 著者自身が明らかにしているように、この言葉の意味するものは、これまで一般に言われてきたことと明らかに違う。著者は、大江の言葉に対比させるかたちで、武谷三男の言葉を引用する。
 

 原爆の被害国は最もフェアーに原子力の研究をやる権利があり(略)

 

 著者の言葉を借りれば、「被爆の記憶」が、原発の撤廃の理由としてではなく、むしろ「平和利用」の推進のために使用されていた。大江が「福島」以後の時代に発した言葉を新しい地平とすれば、そこからとらえた武谷の言葉は何かが転倒している。あらかじめ言っておけば、武谷は195060年代当時、まっとうな言論人で物理学者とみられていた。だからこうした発想は武谷個人の能力や思想のあり方によるのではなく、まさしく「時代」がこのような言説を生んだのである。

 こうした出発点から、著者は精力的にさまざまな言説を分析していく。「科学戦で敗れた」という湯川秀樹の認識は科学の称揚→科学への期待感―へと向かう。この言説の構造がおそらく以降の世論の土壌となっていくのだろうが、一つ極めて印象的な事例が紹介されている。1952年に開かれた日本学術会議総会での三村剛昂の主張である。三村は広島文理大の助教授で、被爆者でもあった。彼は原爆被害に関して、放射線障害は他の被害とは質的に違うこと▼「原爆の惨害を世界中に広げ」、アメリカの非人道性を衝くこと▼原発は一夜にして原発に化すること―を表明している。「一夜にして」は多少オーバーとしても、今から考えれば、三村の主張はそれほど的外れではないことが分かる。しかし、三村の主張は多数の声とはならなかった。

 知られているように、今日の原水爆実験禁止運動は、ビキニでの第五福竜丸被曝を受けて東京・杉並の署名運動から始まった。そこでは広島・長崎の被爆者援護との連携を目指すより、核実験禁止という「シングルイシュー」での運動の広がりを目指すという判断が働いている。このことも原爆ノー、平和利用イエスの世論形成にプラスに働いたと思える。

 一つ一つ取り上げていけばきりがないのだが、原爆被害の悲惨さはそのまま原子力=夢のエネルギーの積極活用による進歩という構図に反転させられている。原爆被害の悲惨さが、原子力エネルギーそのものの懐疑へと向かう回路があらゆる局面で断たれているのである。そのことを著者は、次のような言葉で指摘している。

 

 核エネルギーを抱擁した戦後日本の輿論の変遷には、新たな専門知に対して社会はどのように対処すべきかという問題が埋め込まれている。むしろ、いま私たちが問うべきは、専門知をブラックボックスの中に押し込めて足れりとしてきた社会のあり方そのものではないだろうか。

核エネルギー言説の戦後史1945-1960: 「被爆の記憶」と「原子力の夢」

核エネルギー言説の戦後史1945-1960: 「被爆の記憶」と「原子力の夢」

  • 作者: 山本昭宏
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2012/06/15
  • メディア: 単行本



 


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