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予断を排除する事実の重さ~濫読日記 [濫読日記]

予断を排除する事実の重さ~濫読日記


「官邸の100時間 検証 福島原発事故」(木村英昭著)
 

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 「官邸の100時間」は岩波書店刊。1800円(税別)。初版第1刷は2012年8月7日。著者の木村英昭氏は1968年鳥取県生まれ。朝日新聞記者。2006年から4年間、福島県郡山支局。東京本社地域報道部を経て経済部。著書に「ヤマは消えても 三池CO中毒患者の記録」など。

 












 ことし5月29日付で新聞各紙は一つのニュースを報じた。福島原発事故についての国会事故調が、菅直人前首相から事情聴取したという。昨年3月に福島原発事故が起きた時、菅氏は事故処理の最高責任者であった。だから各紙ともそろって1面トップにその記事を置いた。

 しかし、各紙が伝えたニュースのポイントは一様でなかった。特に、読売と産経は異様でさえあったといっても過言ではない。それぞれのメーンの見出し、つまりニュースの核心として伝えたのは、以下のようなことである。

 「菅前首相 冗舌に反論」(読売)

 「菅氏 反省なき強弁」(産経)

 これと対極をなしたのは、東京新聞だった。

 「菅前首相 情報上がらず手詰まり」

 読売、産経は、これまでの報道ぶりを見ると際立って原発推進論に傾いており、東京新聞は「反原発」に立っている。つまり、原発へのスタンスが、そのままニュースの取り扱いに表れている。これはどういうことだろうか。


 7月26日付毎日に小さな記事が出ている。福島原発事故の民間事故調が細野豪志原発事故担当相を聴取した内容を伝えた。「菅直人首相以外の首相があそこで判断を迫られた場合、判断できた人が誰なのか私は分からない」とある。後段には、菅氏から原発の吉田所長の携帯番号を聞かれた東電幹部が「こそっと隠れながら」調べていたという福山哲郎氏(当時、官房副長官)の証言がある。細野証言はその後、岩見隆夫「近聞遠見」も取り上げた。


 一般的には、福島原発事故直後、菅首相が不要な介入をして現場を混乱させたという印象が流布しているが、本当にそうだろうか。原子力安全・保安院や原子力委員会、関連省庁が有効に機能しているのに官邸が余計な口出しをしたのなら、その批判は当たっている。しかし、そうだったのか。真相はいまだ藪の中である。

 原子力規制委員長は、6月20日の法改正によって、政治家の介入を排除し専門家が事故対応を決断することになった。これは、福島原発事故で菅氏が過剰な介入をしたため現場の指揮系統が混乱したとの事実認識に基づいている。この判断は正しいのか。


 なぜこのような疑問を呈するか、といえば、原発事故の際、東電や原子力安全・保安院、原子力委員会、霞が関がまともに動いていた、という事実が見当たらないからである。SPEEDIの情報が、官邸より先に米軍にわたっていた事実だってそうだ。こうした制度的、組織的仕組みが正常に機能していない時、官邸は情報の真空地帯でどんな対応を取りえたのだろうか。「原発事故」にかかわるシステムが機能停止に陥っているのに、政治介入を排して専門家に「決断」を委ねる法改正をしたのであれば、それは「改悪」というものではないか。よくも悪しくも「危機管理」の専門家はまず政治家であるべきで、原発の専門家は危機管理の専門家とは思わないからである。

 しかし、こうした議論を積み重ねるには、我々には前提となる正確な事実が圧倒的に不足している。新聞をはじめとするメディアの洪水のような情報があるにも関わらずだ。その多くは、先にあげた見出しのように予断と偏見と不正確さに彩られ、良質のものとはいえない。

 そうした中で、原発事故への対応をめぐるいくつかの見るべきドキュメントは出ている。朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」も、その一つである。そして今回の「官邸の100時間」は初期の「プロメテウスの罠」を担当した記者の、さらなる「掘り下げ」によってもたらされた。

 この書を書きあげた40代の著者―木村英昭―は「プロローグ」でこう書く。

 「てくてくと足で稼いだ事故調査検証報告書である。論評や推断は排する。ファクトで勝負する」。これを裏付けるように、事実の一つ一つは、可能な限り証言者が付記されている。

 そして、著者の事実認識は、次のことから始まる。

 「官邸は情報過疎に叩き込まれた。その官邸を支える官僚組織は、実はその組織自体が機能不全を起こしていた」―。

 「どうすればいい?」と菅は尋ねる。保安院、安全委員会、東電の専門家は「誰も菅に目を合わせず、黙っていた」―。

 菅の側近だった下村健一・内閣審議官は、この時を振り返ってこう証言する。

 「結局、みんな政治家が判断をしていった。(略)何もしないんですよ。分からなかったら、部下に聞くとかという行動を始めるじゃないですか。そういう行動もとらないんです。(略)全部こちらが言わないとできなかった」。下村はこうした対応に「戦慄した」という。もし、この証言が本当なら、原発事故の対応をこうした専門家に任せることは、日本の国の前途を誤らせることになりはしないか。例えば、原子力安全委員長だった斑目春樹氏にも、どれだけの信頼を置くことができるだろうか。斑目氏に対する菅の視線。

 「予測できなかった人に、それ以上言っても仕方ないだろ」。福島1号炉の水素爆発が、全国中継された直後のことである。

 そして再び、下村メモ。「批判されてもうつむいて固まって黙り込むだけ。解決策や再発防止の姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者」―。

 原発対応をめぐる一つの核心部分は、東電の「撤退」発言である。東電自身は否定しているが、その真偽はいずれはっきりするだろう。著者もまた執念でこの事実を追っかけている。そして書く。

 「東電は原発のコントロールを諦め、放棄しようとしていた」―。


 総じて見たときに、取材の偏りが多少気になる。官邸の、菅氏とその周辺への取材に偏っているのではないか、一方で原子力委員会や原子力安全・保安院への取材が足りないのではないか―。その点、エピローグで著者が明かしているように、全ての関係者が快く取材に応じてくれたわけではないだろう。そうした制約と限界を感じながらも、事実を事実として重ねていくこうした作業の価値を認めないわけにはいかない。福島原発事故がまっとうな、厚みのある史実となるために。

検証 福島原発事故 官邸の一〇〇時間

検証 福島原発事故 官邸の一〇〇時間

  • 作者: 木村 英昭
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/08/08
  • メディア: 単行本



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BUN

だいたい政府やマスコミは国民をバカだと思っているので、情報をオープンにするとパニックを起こすと思っているのだが、時期は少しずれるのだが、オープンになった事実にパニックになったことなど一度もない。
東電が下手を打って、他の電力会社が何も言わないのが不思議だ。上関はまだしも松江の3などほとんど出来ているが、稼働の見通しは立たない。そもそもこんな危険なモノを運転して、心配でない神経を疑う。念には念を入れるというのが普通の神経と思うが、同じ日本人として不思議だ。きっと企業人は日本人ではないのかもしれない。浸水くらいで爆発する原発が心配でなかったとしたら。科学は何のためにあるのか分からない。こんな致命的な失敗に反省もない。こんなのを東大元暗しと言うのか、笑ってる場合ではない。

by BUN (2012-08-29 00:22) 

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