橋下府政をきちんと検証せよ [濫読日記]
橋下府政をきちんと検証せよ
「ハシズム! 橋下維新を『当選会見』から読み解く」第三書館編集部編
「ハシズム! 橋下維新を『当選会見』から読み解く」は第三書館刊。初版第1刷は2012年1月1日。900円(税別)。著者は中島岳志、上野千鶴子、雨宮処凛ほか。 |
あらかじめ断っておくが、私は橋下徹という政治家の手法を快く思うものではない。むしろ一種の詐欺師の手口だと思っている。しかしそれでもなお、この政治家(果たして「政治家」と呼ぶに値するのか)に対して「ハシズム」というレッテルをはって済ますのは、抵抗がある。
もちろん「ハシズム」は「ファシズム」の連想のもとに成り立つレッテルはりであろう。橋下はファシストなのか。だとすれば、どこがファシストの手口なのか。そういうと、あんたは大阪府の教育基本条例案を読んだのか、日の丸に頭を下げないやつは即刻クビだというのはファシストの証拠ではないか、教育現場に政治家が直接口を出す道を開こうとするのは一体どうなんだ、とタマが飛んできそうだ。しかし、こんなことでファシストかそうでないかの判別がつくぐらいなら、こんな楽なことはない。
先日、テレビで山口二郎・北海道大教授と橋下徹の「直接対決」というのがあった。結果は橋下の圧勝だった。番組のコメンテーターだった作家渡辺淳一はうかれて「当分、橋下に任せてみたい」と口走っていた。わき道にそれるが、このおっさんどんな資格があってそんなことをいうのか、と本気で思った。渡辺は大阪市民なのか。何年後かに市政が破綻した責任を、渡辺はとることができるのか。
橋下が、一応当代の論客である山口に勝った理由はいくつかあると思えるが、代表的なものだけ挙げよう。まずは「学者さんは何もわかっちゃいない」「学生相手にくっちゃべっているだけの学者さん」と、本筋とは関係ないジャブをかます。その次に、山口はこう言っている、そのお弟子さんの中島岳志はこう言っている、だけど違う、と反論めいたことを言う。違うのは当たり前なのだ。元の発言が橋下に都合のいいようにデフォルメされているからだ。だから山口は苦虫をかみつぶして「そんなことは言ってない」と反論するが、時遅しである。先に言ったほうが勝ちなのだ。
これが橋下の「ケンカの仕方」だと思っている。人間としてはまったくろくでもないが、残念ながら政治的には極めて有効だ。そして、このやり方をそっくりコピーした手法が「ハシズム」なるレッテルだ。どこが「ファシズム」なのかきちんと論証せず「ファシズム」→「ハシズム」→「だから橋下は悪いやつ」というのは、一種の思考停止である。これでは選挙に勝てない。橋下と同じことをやっても勝てない。「独裁」だの「ハシズム」だの、既成政党が(共産も含めて)レッテルはりをすればするほど橋下の術中にはまる。もう一度言っておくが、わたしは橋下を弁護しているのではない。
では、橋下とファシズムはどう違うのか。私は、彼がポピュリスト(それもかなりたちの悪い)であることは間違いないと思う。市民を分断し、敵を作り、敵愾心をあおりたてる。この場合の敵は「公務員」である。既得権をにぎり、市民の生活を圧迫する公務員という構図。そしてその上に「民意がすべて」という選挙絶対主義。だがここで、橋下はあきらかに勘違いをしている。市政は市長と市議会の両輪で成り立っている。橋下自身も言っているように議会は橋下がリーダーである「維新の会」が多数派ではない。「私が民意」といわんばかりの橋下の言説はおかしいのである。だから「民意に従わない職員は去れ」というのもおかしい。ここがおかしい以上「民意に基づく独裁」もまた、おかしい。
この観点からすると、「新潮45」12月号の「『反ファシズム論』では彼には勝てない」(佐藤優)は示唆に富む。佐藤は言う。「ファシストは、社会的弱者に対して優しい」
橋下は社会的な弱者に対して、まったく優しくない。それどころか、切り捨ての対象と見ている。弱者の支持を吸引することで、権力奪取を実行する。これがヒトラーやムッソリーニがとった手法である。ただ日本の場合は少し違う。「天皇」はいたがヒトラーやムッソリーニはいなかった。弱者の支持を吸引するブラックホールのような政治思想が天皇制の周りに形成され、無責任の体系というらせん状の権力構造が生まれたとみている。
では橋下には、社会的弱者を吸引するだけの「思想」と呼べるものがあるのだろうか。見極めなければならないのは、この一点である。佐藤はこう書いている。
橋下徹氏は、ファシズムを構築する意思もインフラも持たない。状況対応で向こう岸に渡ろうとしている現在の日本によくいるひよわなエリートの1人に過ぎない。
橋下に過剰なレッテルをはり、「幽霊政治」(佐藤)を恐れるより、支離滅裂な橋下の素顔を暴く方がよほど意味のあることなのだ。では、そのために何をするか。たとえば橋下府政3年余りで何がどう変わったのか。財政を赤字から黒字に転換させたというが、この中身はなんなのか。自治体が本来すべきことは切り捨てられてはいないか。府の組織はどうなったのか。「新潮45」12月号では府庁で自殺者が増えたことが取り上げられているが、その真相はどうなのか。
こうしたことをきちんと事実として検証することが本来、メディアの役割ではないのか。何度も言うが、レッテルをはって浮かれることがメディアの仕事ではないだろう。
そうそう。うっかり、この著書「ハシズム!」の内容に触れるのを忘れるところだった。タイトルは別にして、内容的に触発されるところは随分ある。中でも上野千鶴子・東大名誉教授の一文は興味深い。橋下の支持層は若者と女性であり、今日の格差社会の中でもっとも「ワリ」を食っている階層である。ここにあるのは、空疎な政治家・橋下の存在とは別に「何かやってくれそう」という大衆の漠とした空気であろう。「ニッポンの没落」と「明日が見えないポスト3・11」を背景画として置けば、薄気味悪いことには違いない。
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