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「福島」を普通の人間の視線で見る~濫読日記 [濫読日記]

「福島」を普通の人間の視線で見る~濫読日記


「裸のフクシマ 原発30km県内で暮らす」たくき よしみつ著

 裸の福島_001.JPG「裸のフクシマ 原発30㌔圏内で暮らす」は講談社刊。1600円(税別)。初版第1刷は20111015日。著者たくき よしみつ(鐸木能光)は1955年福島市生まれ。小説、デジタル文化、デジカメ写真など幅広く執筆。著書に「デジカメに1000万画素はいらない」など。 













 福島原発事故は、戦後日本の断面を浮き彫りにした。その一つに、社会的に「エスタブリッシュメント」とみられていた人たちの、予想を上回る無能ぶりがある。低次元の議論を繰り返す政治家たち。現実的対応力のない官僚機構。わけても「無能」ぶりをさらしたのは科学者たちだった。

 そうした状況の中で、わたしたちは何を基準にモノを考え、行動すればいいのか。それは普通の市民の感覚だ。そういって差し支えないと思う。市民というより庶民。政治家や官僚、学者よりもっと現実的で、言ってみれば狡猾でもある人々。そこから「福島」はどのように見えるか。

 そうした視点にぴたりはまるのが、この著作である。著者は20年前、ある文学賞をとった小説家。しかし、作品は売れなかった。以来、彼の小説は売れないままでいた。糊口をしのぐため、デジタル文化論に触手を伸ばした。今日のデジタル環境の中で「物書きや作曲など創作活動がメイン」という生活形態からすれば都会に居を構えておく必要はなく、一時は越後の古民家を手に入れるが中越地震でつぶれ、故郷福島に移り住む。


 書かれているのは、乱れ飛ぶ情報を懐疑と直感で受け止め、検証した結果である。

 例えば、福島中央テレビ(FCT)は第1原発1号機の爆発シーンをスクープしたが、その放映には紆余曲折があった。まず「爆発のようなものが起きました」と伝えられる。「のようなもの?」「爆発?炉心溶融?」「冗談だろ、おい」。これは普通の感覚である。FCTは、ただちにこのニュースを日本テレビに連絡する。しかし「情報確認まで待て」と指示が出て、中継は7分で終わる。全国中継はそれから1時間以上たってから。ここで「専門家による解説」が加えられるのだが、これがとんでもなくわけのわからない解説。

 あるいは「20㌔圏」「30㌔圏」という避難指示の馬鹿らしさ。だれがそんな明確な線引きができるのか。結局、それぞれの自治体は自分たちに都合よく圏内に入れてもらったり、外してもらったり。第一、20㌔圏とか30㌔圏とかのコンパスの軸はどこに置くのか。特定の施設が使いたければ、検問所を原発の側に移動してもらえばいい。恣意的な操作が行われる。もちろんホットスポットは存在するから、南相馬市や浪江町の低線量地域では、避難先の方が線量が高いという悲劇も起きる。飯舘村のように、30㌔圏でもないのに高線量にさらされるという事態も生まれる。

 あるいは「避難太り」という現実。避難所から自宅に戻らなければ補償金が多くもらえる。だから自宅には戻らない。避難所周辺のパチンコ屋は避難した人たちでにぎわう。温泉施設を借り上げた避難所は三食温泉付き。家電セット供与は世帯ごとなので、6人家族が2人ずつ列に並べば3世帯分もらえ、それを売ればカネになる。これらを「ずさん」ととるか「ずるい」ととるか「したたか」ととるか。


 著者も書いているが、原発とは高邁な科学技術の粋ではなく、要は「湯沸かし」なのである。たったそれだけのためにこんな危険なものを使う必要があるのか。そしてそれを補助金漬けにして、国民の税金が流れ込む仕組みをつくらなければならないのか。太陽光や風力などの再生エネルギー議論が勢いを増しているが、これだって補助金漬けにしてしまえば同じことの繰り返しではないか―。


 

 ――つまり、諸悪の根源は税金であり、税金を勝手に使えると思いこんでいる政治家や官僚たちの資質を何とかしない限り、問題は永遠に続く。


 

 著者の思いはここに集約される。地に足のついた普通の人の感覚が、今の日本には必要なのだと、つくづく思う。

裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす

裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす

  • 作者: たくき よしみつ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/10/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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