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死が日常であるとき~映画「4月の涙」 [映画時評]

死が日常であるとき~映画「4月の涙」


 フィンランド製作の映画である。「フィンランドってどこ?」。この質問に正確な答えを出せる人がどれだけいるだろう。世界地図を開いてみればスカンジナビア半島の東、スエーデンの対岸。この位置は実に興味深い。ロシアの地続きの隣国。バルト海を挟みデンマーク、ポーランド、ドイツの対岸。この地政学的な意味が、この国の歴史と運命を決定づけている。

 古くはスエーデン、そしてロシアに支配されてきた。独立を宣言したのは1917年、ロシア革命の年である。一時は共産化したが、ドイツに支援された白衛軍とソ連に支援された赤衛軍の間で戦いが始まる。内戦は翌1919年に終わるが、以降も第一次大戦から第二次大戦にかけてのヨーロッパ動乱に巻き込まれ、独ソの間を揺れ動く。

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 映画はこの内戦期を背景として、若い男女のほのかな愛を描く。ということで純愛ドラマかと思いきや、まったく違った。

 1918年4月、敗走する赤衛軍の女性兵士たち。多数が捕虜となり白衛軍の男たちに辱められ、射殺される。一人生き延びたミーナ(ビヒラ・ビータラ)に、准士官アーロ(サムリ・ヴァウラモ)は公正な裁判を受けさせようとする。判事のもとへ護送するため船で海を渡るが遭難、2人は無人島に流れ着く。小屋で数日を過ごした後、出会わせた船に救われてミーナを連行するが、ここで登場するエーミル判事(エーロ・アホ)がまた曲者。もともと文士であるが、捕虜の処刑に異常な関心を示す。

 アーロは上流階級の出身で、教養もあるがナイーブな性格。ミーナは農民出身で極めてタフ。この二人が心をかすかに通じ合わせるが、結局は悲劇的な結末を迎える。このストーリーが縦糸だが、エーミル判事の同性愛と狂気が横糸となる。ストーリーを紹介し始めると、複雑さのため際限なく細かくなるので省略し、大胆に結論へと飛んでしまえば、死が日常である戦場で立ち上るエロスと狂気のもつれ合いが、この映画のテーマである。単純明快でないところは、冒頭に挙げたフィンランドの地政学上の複雑さ、一筋縄でないフィンランドの歴史に由来すると思える。

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 あらためて言えばこれは純愛物語などではない。インテリであるアーロのひ弱さを乗り越えて進むミーナのたくましさ。強姦されれば、逆に「女」を武器に生き延びる。本来は勝者であるはずのエーミル判事やアーロが無残な死を遂げる中で、内戦の時代を見事に切り抜けるのである。これを第二次大戦後、自由主義体制を維持しながら外交はソ連寄りであった「ノルディックバランス」の国民性、とは言いすぎであろうか。
 北欧の陰鬱な空と海にベートーベンの交響曲7番第2楽章がよくマッチしている。原題はフィンランド語で「掟」。戦場の掟、人間の掟…このタイトルの方が奥深い気がする。「100,000年後の安全」(フィンランド、スエーデン、デンマーク、イタリア合作)に続いてこの映画が世界に知られたのはフィンランドがEUに加盟し(1994年)、ユーロ圏に入った(2000年)ことが大きいのではないか。


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