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すごいけど難解~映画「エッセンシャル・キリング」 [映画時評]

すごいけど難解~映画「エッセンシャル・キリング」


 アフガニスタンの砂漠。地溝帯に身を隠し米軍と戦うタリバン兵士は拘束されるが、護送車の事故で逃走する。ここまでのストーリーは一応あるが、実は映画の額縁のようなもので、本当はあってもなくてもいい。あるいは別の設定でも構わない。この後の逃走劇が〝本編〟である。

 逃げるムハンマドを演じるのはヴィンセント・ギャロ。セリフらしいセリフはいっさいない。ただ顔面と全身の筋肉で恐怖、飢え、安堵といった感情を表現する。凍りつく川に転落し、木の皮を食べ、伐採の巨木の下敷きになり、子ども連れの母親の乳にむしゃぶりつく。もちろん欲望のためでなく、飢えを満たすために。

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 雪深い山中を米軍と軍用犬に追われる。生き延びるためには、彼らを殺さなければならない。エッセンシャル・キリング(必要不可欠な殺人)が行われる。美しい自然の中でそれは実行される。

 終盤。ムハンマドは森の中の一軒家にたどり着く。そこには難聴の女性が一人。マーガレット(エマニュエル・セニエ)は軒先に倒れたムハンマドを家の中に入れ、介抱する。捜索隊をいなし、十分な手当ての後、馬を与えて逃がす。セリフがないから、彼女は何者でなぜ助けたか、まったく不明である。森の中の一軒家に住んでいて、血まみれの男が窓の外にいたら普通、助けないであろう。ましてや、馬一頭与えるだろうか。ここが最大の謎である。

 もちろん、そんな不自然なストーリーを押し付けるイエジー・スコリモフスキ監督ではないであろうから、ここには深い寓意とメタファがあるに違いないのだが、それが容易につかめない。

 しかしムハンマドは馬上で血を吐く。ラストは雪原に乗り手のいない馬が1頭。ムハンマドは逃げおおせたのか、死んだのか。それさえ明らかにされない。あるいは、ムハンマドの生死など、この映画では関係ないのだ、ということかもしれない。

 セリフも、説明もほとんどなされない。ストーリーはいたって単純。それだけに哲学的で、難解である。ただただヴィンセント・ギャロの演技に脱帽。
 

 エッセンシャル3.jpg


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