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問いかけるものはとても深い~映画「おじいさんと草原の小学校」 [映画時評]

問いかけるものはとても深い
~映画「おじいさんと草原の小学校」


 確かに感動の物語である。観終わって「いい映画を見たな」と思う。しかしそれで終わることのできない何か、がある。

 原題は「The First Grader」。「初等教育を受ける人」即ち小学生。しかしこの小学生は84歳である。1963年に独立したケニアは2003年に初等教育の無料化に踏み切る。ケニアがアフリカ大陸の経済躍進の優等生であることも背景にあるだろう。しかし、国の辺境ではまだ困窮の生活が続いている。そんな中で、このおじいさんは文字を読みたいと思う。子どもたちの受け入れで手いっぱいの学校側は体よく追い払おうとするが、おじいさんはあきらめない。そして小さな子どもたちと一緒に学び始める。

 なぜ、キマニ・マルゲ(オリヴァー・リトンド)は84歳で小学校に入りたいと思ったのか。彼はこれまで、ケニア独立運動の闘士として妻子を目前で殺され、自らも苛烈な拷問に耐えて来た過去を持つ。とてもまともな教育など受ける環境にはなかったのだ。彼は1万人以上が殺されたとされ、ケニア独立の礎となったマウマウ団の生き残りだった。実は冒頭のシーンで、彼の文字に対する渇望の契機が紹介されるのだが、ここでは書かないでおこう。

 草原の4.jpg


 これで終われば、教育の大切さを訴える感動物語、ということになる。しかし現実は違った。ケニア独立で決別したはずの部族主義がそこかしこで頭をもたげる。マルゲ自身もその呪縛から逃れることができない。「84歳の小学生」は世界にニュースとして発信され、ケニアの教育の象徴的存在になったことで、名声や利権に敏感な政治家らがむらがる。渦の中にいるマルゲには苛烈な体験の記憶がフラッシュバックのように甦る。

 小学校の校長ジェーン(ナオミ・ハリス)は、そうした騒動の中でいったんは追いだされるのだが、独立運動の闘士だったマルゲの訴えが届き、カムバックする。

 マルゲの誠実、ジェーンの情熱、そしてアフリカの子供たちの笑顔にはとても救われる。しかし、彼らがそこで学び、会得しようとした言語はかつての宗主国、マルゲの妻子を殺害し、部族間対立をあおりたてた英国の言語そのものである。マルゲたちがかつて誇りにしたキクユ族をはじめとする部族の文化はそこにはない。確かに、ケニアという国家が前に進むためには過去のすさまじい体験と決別する必要があるだろう。しかし、それはマルゲたちにはとても困難な作業でもあったはずだ。


 草原の3.jpg


 最後のシーン。ケニア大統領から届いた1通の手紙。小学校で学んだマルゲだが、その手紙を読む力はまだない。代読を頼まれたジェーンは、さらに同僚にその仕事を依頼する。そこには、マルゲの独立運動での功績と苦難を認め、賠償金を受け取る権利があると記されている。しかし、こんな紙切れ1枚でマルゲは本当に救われるのか。それは、ケニアという国はそれでいいのか、何かを置きざりにしてはいないのか、という深い問いを観るものに投げかける。
 この映画の製作国は英国である(監督はジャスティン・チャドウィック)。そのことには大いなる敬意を表したい。それは、日本の映画製作者は何をしているの?という問いにつながる。


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