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「原発」の議論に「生活者」の視点を [社会時評]

「原発」の議論に「生活者」の視点を


 
「脱原発」か「原発推進」か。本来は、もうとっくに結論が出ている話なのだ。しかし、それが最終的に認知されない。なぜだろうか。日本の産業構造を維持するため、なのか。日本の安全保障上の理由なのか。それとも「国策」であるため、なのか。
閉塞感が漂い始めたこの議論、突破口を見いだすとすれば、どんな概念が必要なのか。そんなとき「生活者の視点」という言葉が、あちこちで言われ始めている。地面に、自分の足で立って考えてみる。果たしてそこから、新しい方向性は見えてくるか。

 日本平和学会の秋季研究集会が102930の両日、広島修道大で開かれた。テーマはいくつかあったが、「フクシマ」に沿った部会や分科会も当然のことながら設けられた。いくつかを聞いてみた。一言で言うと、印象に残った言葉は「生活者の視点」であった。実はこの言葉を、以前にも聞く機会があった。723日、広島市内で開いたシンポジウムで詩人のアーサー・ビナードさん。「ヒロシマからフクシマまでの道」と題した報告で、核兵器とどう向き合うかについて彼はこう話した。

 ――生活者にとって核兵器はどういう幸福と結び付くのか、生活にとってどう必要なのかが最も大切なところだ。(略)核兵器の場合はその視点が完全に抜けている。なぜか。核兵器にその視点が加わると「廃絶」しかない。(略)生活者の視点が加わると原爆と原発の関係が見えてくる。

 「原水禁署名運動の誕生 東京・杉並の住民パワーと水脈」という分厚い本がある。ことし5月に出版された。平和学会の研究集会では著者の丸浜江里子さんが「なぜ杉並だったのか」を報告する分科会もあり、これものぞいた。革新区長の存在や高学歴の女性が多い地域であったこと、戦前・戦中の国家総動員体制が生き残っていたこと―などが語られた。しかしもちろん、戦時中の「隣組」がそのまま機能し杉並の住民が従順にそれに従ったわけではない。そうした議論の中で、ある研究者が「生活者の視点」という言葉を提示した。核実験をこのまま許してはならない、という原動力は「生活者」に立脚した感覚であったというのである。


 NHK放送文化研の研究員・七沢潔氏と福島の酪農家・長谷川健一氏、「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」事務局長・振津かつみさんが語る部会もあった。この中で振津さんは福島県内で「健康生活手帳」を書く運動を進めていることを紹介した。チェルノブイリの救援活動を続けてきた彼女は「チェルノブイリと同じ深刻な状況が福島に生まれている。私たちの世代の責任が問われている」とし、被曝の記録を自分たちの言葉できちんと残していくことの重要性を訴えた。もちろん、このことは最終的に国が担うべき仕事であるのだが。長谷川氏は「生活者」の視点そのものであった。「牛が餓死し、それを豚が食べている」という報告は痛切であり、すさまじいというほかない。

 そんな中で七沢氏は、会場の質問に答える形でこんなことを語っていた。

 「フクシマ」以後、原子力政策を転換させた独・メルケル政権の例。政権は倫理委員会を設け、原子力政策の方向性を定めたという。「倫理」という言葉がここで使われていることに、七沢氏は意味を見いだすという。原子力政策の転換を、科学者でなく社会が選択する。つまり「原子力は道徳的に理にかなっているか」―。
 この考え方は重要だ。倫理学者にとどまらず、哲学者や経済学者、あるいは思想家、文学者が集まってこの問題を議論すべきではないかと、私も思う。


 実はこの話を聞いて、思うことがあった。長崎大から福島県立大の副学長となり現地の放射線リスク管理アドバイザーを務める山下俊一氏のことである(参考にしたのは5月3日、二本松市での住民とのやり取り)。

 知られているように山下氏は「100㍉シーベルトの積算量にリスクがあるとは思っていない」としている。住民が疑問を呈したところ「将来のことはだれも予知できない」「(正確な結論を得るには)福島県民による何十年間もかけた疫学調査が必要」と答えている。その後で山下氏は「私は被爆2世」「親たちの代は、みんな汚染された水を飲み、復興してくれました」と語っている。

 これは、一個の人間が持つさまざまな側面を混同しているように思える。「100㍉シーベルトにリスクはない」は、善しあしは別にして科学者としての見解であろう。科学者は推論でモノを言うべきではなく、それは自殺行為につながる。しかし、その後の「被爆2世」や「親たちの代」は個人的な体験の側面であり「科学者としての知見」とは、なんら関係がない。

 その後で彼はこう語る。「私は、皆さんの基準を作る人間ではありません」「基準を提示したのは国です。私は国の指針に従う義務があります」「『安全』という言葉は安易には使いません。皆さんに少しでも『安心』してもらえれば」


 こうした人間を「放射線リスク管理アドバイザー」にしたのはなぜだろう。もっと言えば、彼にこうした役割を負わせた国の責任こそ、問われるべきではないか。
山下氏自身が、自分は科学者ではあるがリスクの管理はできない、国の言うことにそのまま従うのが自分の役割であると、正直に語っているのである。その結果、「安全」は保障できないが、皆さんが「安心」するよう話している、と言っているのだ。ここに立っている人間像は、かつて高木仁三郎氏が「原発事故はなぜ繰り返すのか」の中の「議論なし、批判なし、思想なし」で描いた技術者像そのままである。


 山下氏は、自らの立ち位置を正確に把握するなら、放射線リスク管理アドバイザーなどというポストは返上し、研究室にこもるべきなのだ。そして「リスク管理」という役割は科学者だけでなくもっと広範な分野の人々で構成する委員会が担うべきなのだ。科学と政治と文化、倫理が明確に峻別されることこそ、ここで重視されるべきことだと思う。その時なされる議論の共通項こそ「生活者の視点」ではないだろうか。


原水禁署名運動の誕生

原水禁署名運動の誕生

  • 作者: 丸浜江里子
  • 出版社/メーカー: 凱風社
  • 発売日: 2011/05/20
  • メディア: 単行本




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BUN

形あるものは壊れる。壊れた後、どうするかをまったく考えていなかったことに愕然とする。多くの人が防げたかもしれない、備えあれば必要のなかった被ばくをした。止めるか進むか。論理では止められない、人間の性、動物の性を感じる。草があればすべてを食べ尽くし、移動する。先に草がなければ絶える。人もまた他の生物を思いやる余裕など無い。そうやってこれまで来たし、これからも絶えるまで。
by BUN (2011-10-30 23:07) 

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