SSブログ

なぜ産経新聞なのか~秋葉市長の暴走 [社会時評]

なぜ産経新聞なのか~秋葉市長の暴走

 もういい加減で打ち止めにしようと思っていたが、続編を書かなければならない。広島市の秋葉忠利市長が「マナーをわきまえ信頼できる」(市広報課)として指名した産経新聞記者の「単独」インタビューが1月8日付で掲載されたからだ。

 1面トップ。見出しは「秋葉・広島市長引退 ユーチューブ会見 『編集なし、ネット選択』」。要するに、相手側の編集権を認めたくない(言い換えれば発言者の都合のいいように伝える)ということらしい。記事も読んだが「たすきをつなぐべき時」「テレビや新聞は伝えたいことが伝わらない」「五輪招致は任期満了まで先頭に立つ」と、これまで動画でしゃべったことを繰り返しただけ。まさに市長の言いたいことが並べてある。3面には「浜田英一郎」の署名入りで(なぜ1面の記事には署名がないのだろう)、600字余りの「インタビュー要旨」が載っている。「要旨」とあるからには部分的な省略もあるはずだが、それは「編集作業」とは呼ばないのだろうか。それとも、すべて秋葉市長の事前了解を得て記事化したのだろうか。そうだとすればこれは権力者側の事前検閲にならないか。

 内容がなく、しかも疑問が次々にわく不思議な記事だった。もし、このような記事と一方的な動画会見だけがメディアだと呼ばれる時代が来るとすれば、考えただけでも恐ろしくなる。ジョージ・オーウェルが描いた近未来、大衆が家畜化する社会が来るだろう。

 この記事で市長は「選挙の出馬、不出馬で記者会見するのは市長の職務ではない」としているが、市民が聞きたいことは「なぜ不出馬なのか」ではないのだ。聞きたいことは「次期市長選不出馬なのになぜオリンピック招致を断念しないのか」「不出馬なのになぜ広島西飛行場の存続を決めたのか」「それらの行為は『投げ出し』であり責任放棄ではないのか」なのだ。

 そして、どうしても言わなければならないことがある。なぜ産経新聞なのか。昨年8月6日の平和宣言で秋葉市長は「非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱」を政府に求めた(やっとだ)。これに対して産経新聞社説(8月4日付)は「核の傘離脱は無謀な提言」の見出しで「日本や韓国は依然、米国の核の傘を必要としている」と書き「『非核三原則の法制化』も非現実的な提案だ」とした。秋葉市長は「核の傘離脱」も「非核三原則の法制化」も、被爆者をはじめ広島市民の願いだと思ったから平和宣言に盛り込んだのではないのか。この提言を真っ向から否定する新聞社とだけインタビューに応じるとするなら、まずはこの問題について釈明しなければならない。それとも「核の傘離脱」より記者の「信頼性」が大切だったと言いたいのだろうか。

 今回の市長の行動については、ある議員がブログで「子どものように周囲を困らせる」と書いていたが(その通りだろう)、マスコミ他社の対応も腰砕けだ。特に地元紙はどうなっているのだろう。今回の問題について正面から論じた社説は一本もない。これではとても言論機関とは言えない。それとも市長の対応は容認できるものだということだろうか。結局、社説で取り上げたのは朝日新聞だけだった【注】。

 昨年12月2日、一切のマスコミをシャットアウトして秋葉市長のマグサイサイ賞受賞を祝うパーティーが広島市内のホテルで開かれ、会費1万円で約900人が集まったという。当時は市長4選出馬のための政治資金パーティーと誰もが思ったが、あれは一体何だったのか。あのときの「あがり」はどうなっているのだろう。本来はこうした疑問を解明するのが報道機関の役割だが、地元紙の経営者はそろってこのパーティーに出席してしまっている。これを「癒着」と言わずしてなんと言うのだろうか。

【注】その後調べたところでは毎日新聞が1月16日付で「退任会見せず どうしたの秋葉さん」と見出しを付けた社説、17日付メディア面で「会見要請応じず 投稿動画で説明 退任表明の広島市長」と見出しを付けた特集を、それぞれ掲載したことが分かった。また中国新聞は20日付朝刊1、3面に「会見拒否『正確に伝えるため手段選ぶ』 秋葉広島市長 本紙単独インタビュー」とする記事を掲載。21日には「秋葉市長の説明責任 会見で真意伝えるべき」と見出しを付けた社説を掲載した。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0