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国会新景? 本当の政策論争が見たい [社会時評]

 国会新景? 本当の政策論争が見たい

 *関心呼ぶ国会論戦
 
*攻守交代の与野党
 
*鳩山首相の「語法」
 
*党対党の議論とは 

 週に1、2回通うアスレチックジムで珍しい光景を目にした。予算委論戦のテレビ中継がかかっているのだ。これまでなかったこと。ランニングマシンで一生懸命走って汗を流そうというときに、空疎でよく分からないやりとりなど聞きたくもなかったのだ。それを、聞いている人たちがいる。
 「床屋政談」。庶民が国政をネタにああでもない、こうでもない、とやりあう。そんな時代が再来するのか。あるテレビのワイドショーによると、小泉時代6%台だった予算委論戦の視聴率が麻生政権で2%台に下がり、再び6%台に回復したという。
 国会論戦は面白くなったのか。小泉政権下での視聴率はひたすら「小泉人気」だった。では今、何が視聴者の関心を呼んでいるのだろう。
 一つは政権交代で攻守入れ替わった論戦を見るという素朴な関心。もう一つは政治家主導、官僚抜きの答弁で、少なくとも表面上は議論の中身が分かりやすくなったこと―ではないか。
 攻守交代で言えば長妻昭、舛添要一という新旧厚労相の応酬があり、現大臣が旧大臣を指して「舛添大臣」と呼んでしまうおまけがついたが、これなどは好例か。しかし特別、議論に内容があったとは思えない。さらには野党・自民がどんな追及を見せるか見てみたいという欲求。この面では自民党は大島理森幹事長、町村信孝元官房長官、加藤紘一元幹事長というラインアップで攻めた。が、切れ味はどれほどだったか。町村が首相を「あんた」呼ばわりしていたのも気になる。気持ちは分からないでもないが、相手は一国の首相。川口順子元外相は、沖縄の米軍基地移転問題で「この問題はこう答えるべきでしょ」といった感じで突っ込んでいたがこれも違う気がする。いかにも「私たちはとっくにそんなことは考えてきたのよ。だらしないわね」というにおいがぷんぷんする。総じて「見下ろして」攻めている感じがぬぐえない。だが、民主党に力がないと見れば攻めたてればいいだけなのだ。自民党はそんなに余裕があるのかね、と思ってしまう。
 「政治家の言葉でしゃべる」というのは、今のところ「分かりやすさ」という意味では成功しているようだ。ただ「調味料」の部分が随分、鳩山政権に味方している。その一つ。鳩山首相の「率直な対応」。これは麻生政権の後ということで得をしている。突っ込まれてすぐ謝罪というのは、本当はいかがなものかと思うが、麻生政権の「上から目線」の物言いが国民の反発を呼んだだけに、反動として今のところは好感度が高いのだろう。
 自民党が国会論戦で「こわもて」のベテランを並べれば並べるほど鳩山首相は「いじめられている」風になり、これも得をしている。思うに、鳩山家の由紀夫ちゃんは昔、本当は「いじめられっ子」だったに違いない。しかしクラスの子供たちは「由紀夫ちゃんのお父さんもおじいさんも偉い人だから、いじめてはだめよ」と親から言われてうずうずしながら仲よくしていたに違いないのだ。それで由紀夫君は無事、東大まで入れたのだと思う。だからいま、自民党の古株議員はどんどん悪代官風の顔つきになっている。
 「言語学者が政治家を丸裸にする」という面白い本があった。筆者は東照二ユタ大教授。おもに小泉首相と安部晋三首相の「ことば」の使い方を分析していて、その中に「リポート・トークとラポート・トーク」というくだりがある。リポート・トークとは伝えるべき事実を重視する話し方。ラポート・トークとは心のつながりを確かめる話し方。小泉首相がなぜ大衆の心をつかんだかといえば、ラポート・トークの重要性を知り、リポート・トークとのスイッチングが優れていたことだと、この本は分析している。例えば貴ノ花優勝で「感動した!」というのが最たるものだ。郵政解散での会見も実は「間」の取り方を見るとラポート・トークの部分が大きいという。
 「友愛」を掲げる鳩山首相はラポート・トーク能力に優れた政治家と思える。しかし、それだけだと中曽根康弘が言うように「夏が過ぎれば溶けてしまうソフトクリーム」になってしまいかねない。鳩山の所信表明演説には「人間のための経済」だとか「新しい公共性」だとか、興味深いコンセプトがけっこうある。しかし、今のところは実体が伴わず「ソフトクリーム」にとどまっているようにも見える。
 道浦母都子がある全国紙に書いていたが、「国家戦略室」という名称もよくない。ソフトな政策の概念と「国家+戦略」というおどろおどろしい概念が結びつくとつい「衣の下の鎧」という1930年代の教訓を思い出してしまうのだ。
 自治体や業界からの陳情をさばくシステムを、地元議員や族議員を通さずに各省庁に振り分ける、という仕組みに変えたというニュースがあった。細かい点で問題は残るにしても大筋では正しい選択だろう。小選挙区で選挙民の陳情を議員が請け負っていたら、議員の王国が出来上がってしまい国政は停滞する。陳情を議員がそれぞれ窓口になり党で振り分けるというシステムは間違いなく行政サービスを競った中選挙区の遺物だ。
 小選挙区での国政の運営は地元利益の還元でなく党対党の政策の切磋琢磨で行われるべきで、そのことが始まったのだと思える。ただ、今のところは制度設計者である小沢一郎(小選挙区の源流は田中角栄だろう)の振り付けで鳩山以下、民主党議員が一生懸命踊っているように見える。本当の意味の「党対党」のガチンコ論戦が見られるのは、やっぱりもう少し先かもしれない。  
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