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「組織」と「個」をめぐる紙芝居~映画「沈まぬ太陽」 [映画時評]

 「組織」と「個」をめぐる紙芝居~映画「沈まぬ太陽」

  映画としての出来を、あれこれ言うのは難しい。主演の渡辺謙が言っているように「真ん中直球」だからだ。あそこでカーブを混ぜるべきだったとか、シュートでのけぞらせれば、という批評の入り込む余地がない。9割がた山崎豊子の原作によった作品で、そのまま愚直に映像化した。
 世間を騒がせているように、山崎の原作の評価は悩ましい。「晩節を汚す」から「最高傑作」までいろいろある。どちらかといえば批判的にみているが、趣旨が変わってしまうのでここではこれ以上深入りしないでおこう。
 で、見終わった感想を一言でいえば、実は「面白かった」。しかし一方で、やっぱり現実社会はこんな風に動かないよね、と思ったのも事実。
 知られているように、主人公の恩地元には小倉寛太郎というモデルがいる。その足跡をほぼそのままなぞっているが、もともと毀誉褒貶の激しい人物。映画ではかなり美化されている。もちろん恩地だけでなく、航空会社も首相も、会社再建に乗り込む関西の財界人もモデルがいる。それぞれに美化されたり、まったくの悪人に描かれたり。つまり相当にデフォルメされている。恩地のライバルで社内を登りつめる行天四郎(三浦友和)だけは架空の人物のようだ。
 前半は、労組委員長だった恩地がカラチ、テヘラン、ナイロビと海外僻地をたらい回しにされるストーリー、つまり個人の物語と、520人が亡くなった御巣鷹の日航機墜落事故(あれから24年もたつのだ)、つまり企業としての空前絶後の物語の二つが並行して展開する。そして二つが交錯する。個のアイデンティティーを倒立させたところで組織は成り立つ、平たく言えば組織は個人の誠実を永遠に裏切り続ける、というテーマが描かれていくわけだ。
 だが、恩地の妻りつ子(鈴木京香)は美しすぎるし(確かめてはいないが)、行天は絵に描いたように企業の悪を体現しているし(三浦自身は好演だ)、再建のため会長として乗り込む国見正之(実際は副会長、モデルは鐘紡の伊藤淳二会長)もまた現実離れした人格者。ここまでやると、ストーリーは勧善懲悪になってしまう。でも、それはそれで面白い。
 エンディング。再びナイロビ行きの辞令を受け取った恩地は悩んだ末、企業を辞めずに現地に向かう。でも実際にはここで辞めるのが自然だ。辞めたうえで、自分の意思でナイロビに向かうというのが個人の物語としては美しい。しかしそれではハッピーエンドになりすぎて面白くないか。実際、小倉寛太郎は国内勤務を命じられたが、あえてナイロビ行きを希望したとの説もある。定年後にはアフリカ研究家となりサバンナクラブをつくったらしい。
 結論。これだけ悪人と善人が入り乱れれば、それは面白い紙芝居になるよね。
 山崎作品についてここで言うつもりはなかったが一つだけ。ノンフィクションノベルという手法があるが、この作品はそれとはまったく別物。恩地が日航機墜落事故の世話係をしたとか、行天というキャラクターの創作とか、作品としてもっとも肝心の部分を虚構としてはめこむやり方は、やっぱりどうかと思う。 


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