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イスラムの迷宮に足を踏み入れた~濫読日記 [濫読日記]

 イスラムの迷宮に足を踏み入れた~濫読日記

「倒壊する巨塔 アルカイダと『9.11』への道」(ローレンス・ライト著)

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★★★☆☆

白水社刊。上下各2400円 
初版は2009年8月20日発行
著者は作家、映画脚本家、「ニューヨーカー」スタッフライター。1947年生まれ
2007年ピュリツアー賞受賞

 


  「アラビアのロレンス」(1962年、デビッド・リーン監督)は記憶に残る映画だが、でもやっぱりピーター・オトゥールのイギリス顔はアラブ社会に溶け込んではいなかった(そういう前提の筋立てではあるが)。よくできてはいても、結局は大英帝国の側からアラブを見た映画なんだろうな、という思いがぬぐえない。一方で冒頭のシーン、ロレンスの背後から銃弾が飛んできて、砂漠のかなたから馬に乗った男が近づく。この男、オマー・シャリフはずいぶん存在感があった。
 カイロの南、中産階級の住む閑静な住宅街。イギリス人が創設したエリート進学校に通うマイケル・シャルフーブという名のクリケット選手がいたという。長じて映画俳優となりオマー・シャリフを名乗る。と、こんなことも書いてある。アルカイダのナンバー2で、アラブでは「天才ドクター」とも言われたアイマン・ザワヒリはこの町の県立中学校に通っていた。オマー・シャリフが通った学校とは「別世界だった」という。
 「911」は、米国本土の中枢部が直接攻撃を受けたという意味で「パールハーバー」よりも衝撃的といえる。そのことを米側から解析するという試みはいくつか目にしている。しかし、それでは足りないものがある。なぜイスラムのテロリストたちは貿易センタービルに、ペンタゴンに突入したか。本当の答えを出すには、イスラム社会はあまりに複雑で広大だ。
 米ソ冷戦が終結し、あとは米国の独り勝ちかと思われたがそうはならなかった。国家レベルを越えた勢力の挑戦に米国はなすすべがないようにも見える。オバマ大統領はアフガン増派を続け、ベトナム戦争を泥沼化させた「ベスト&ブライテスト」【注①】の二の舞を演じるのだろうか。こうした今日の事態を「文明の衝突」として予告したのはサミュエル・ハンチントンだった。イデオロギーの対立から一神教の激突に向かう世界。だが彼もまた、イスラム社会の迷宮に踏み込み切れていない、としたのは山内昌之・東大教授だ。ハンチントンの追悼記事で「著作『文明の衝突』で出された『靴』は『アメリカの大きな足』にはぴったりでも『イスラムなどの複雑な世界』にはサイズが合わなかった」と言及している【注②】。
 アルカイダの組織論について「『本家がコンセプトを決定し、ラベルを貸し出すフランチャイズ型』組織」と書いた記事があった【注③】。限りなくフラットで遊撃的な組織のゆえに頂点への一撃では瓦解しないというのだ。冷戦時代とは違う非対称戦の現実がある。この点にも当然のことながら触れている。
 「アルカイダは組織運営の面で、ある種の哲学を発展させてきた。それは『決断の集権化、実行の分権化』と呼ばれるものだった。ビンラディンが実際にやるのは目標を設定し、現場責任者を選び、せいぜいが資金の一部を手当てするまでで、あとは作戦の立案も攻撃の手段も、実行部隊を託された人間が好き勝手にやってよかった」
 ローレンス・ライトはカイロ大学で教べんをとったこともあるという。そのことも投影していると思われるが、実に丹念な取材でテロリストたちを等身大で描き出す。
 「ウサマは言っても聞かないやつだった。(略)こいつは危険だぞ、回避しようとウサマに声かけをした。彼は嫌だと言って、そのまま前進した。乗った馬が転倒し、ウサマは地面に叩きつけられた。(略)砂丘があると彼はアクセルをいっぱいに踏みこみ、猛スピードで乗り越えようとする。向う側がどうなっているか、知りもしないのに」。友人の証言はウサマ・ビンラディンの性格を浮き彫りにする。一方で「ディテールにこだわる」というノンフィクションの基本的スタンスも貫かれている。特に「早朝の太陽が『世界貿易センタービル』に当たり、二本の長い影がマンハッタン島を横切るように伸びていた」という描写で始まる第9章「シリコンバレー」は印象的だ。そのほか、たとえばオフィスを描くなら窓から何が見えるか、フロアには何があるか。書棚には何があるか。室内の植物の種類は…。
 対象と手法からみて、実はもっとも興味深いのは巻末にある「謝辞および情報源に関する注記」かもしれない。多くの証言者たちが「詐欺師、嘘つき、二重スパイ」である現状を踏まえながら「語るに足る事実」を選び出す作業。「灰色領域はどこまでもつきまとう」中での「行きつ戻りつの調査活動」を、著者は「こうした取材手法は〝水平的報道〟と呼ぶことが可能かもしれない」と書く。困難な作業を積み重ねた末の収穫だと分かる。                                                          

 
【注①】今さら言うまでもないが、ケネディが集めジョンソンが引き継いだブレーンたちはこう呼ばれた。彼らがベトナム戦争を泥沼化させた過程はデビッド・ハルバースタム著「ベスト&ブライテスト」に詳しい。
【注②】20081231日付読売
【注③】20057月共同通信「核心評論」 
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