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悪場所からの逃走=闘争~映画「カムイ外伝」 [映画時評]

 悪場所からの逃走=闘争~映画「カムイ外伝」

  日本の中世、近世史は土地本位制の視点でなりたっているとつくづく思う。だから土地に張り付いているものだけが、歴史に登場する。そこから疎外された民が漁民や船上生活者であり、さらには土地を離れて流民となった群れであろう。この、歴史から疎外された民の視点で歴史を見直すとどうなるか(網野史学みたいだが)。こうした民の行き着いた悪場所から見る日本(の権力構造)。これがこの映画のテーマである。
 しかし、カムイはこの悪場所からも逃走=闘争を続ける。究極の疎外へと突き進む。舞台となった離島の集落は砂浜の上に立ち、台風でもくればひとたまりもない。つまり、生活のひっ迫感がまるでない。生活感のなさは映像上の欠陥というより、テーマに沿えば「悪場所」の再現であると読みたい。だからこの砂浜でカムイが似合わぬ大道芸(手品?)もやって見せるのだが、これはご愛敬だ。
 映画全体を通してみると、監督(崔洋一)も役者も揃っているのになにかちぐはぐ。何かが足りないか、何かが過剰なのだ。カムイ(松山ケンイチ)をはじめ、権力者をカルカチュアライズした佐藤浩市や漁民・小林薫、海賊の頭目・伊藤英明もそこそこの存在感があるが、全体としては演技が浮いている。空回りの感が否めない。ただ、カムイが走るシーンだけはすばらしくいい。さすがは「逃走」をテーマにした映画だ。
 でも、なぜ脚本が宮藤官九郎なのか不明。抜け忍を演じる小雪も、まったく雰囲気が違うのでミスキャストだろう。
 最大の問題は、あちこちで程度の低いCGを多用したこと。漫画(劇画と呼ぶべきか)の実写版を作るのに、CGはないだろう。それならはじめから漫画版でいいではないか。オーソドックスな手法にこだわるしか、この映画の生き残る道はなかったはずだ。原作はよく知られた白土三平。唯物史観の骨太の作品である。結局は原作と別の地平に立つことができなかった、つまりは白土漫画の呪縛から解放されることのなかった失敗作。


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BUN

漫画はほとんど読まないが、「カムイ伝、外伝」は読んだというより見た。屋根裏に今もある。絵が抜群で、絵のまずい漫画は見る気がしない。映画はWOWOWオンリーなのでいつ見ることになるか分からないが、このブログを再度確認しよう。
by BUN (2009-11-01 00:09) 

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