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狂気と裸眼の境地が生んだ名作…~濫読日記 [濫読日記]


狂気と裸眼の境地が生んだ名作…~濫読日記


「二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎」(ホンダ・アキノ著)


 驚愕の書き手が現れた。これが読後の第一印象だった。帯にあるように、取り上げられた二人は「国民的作家」といっていい、日本人になじみ深い存在である。若いころ新聞記者を務めたが、何をしていたかは意外に知られない。著者(ホンダ・アキノ)はこのキャリアの中に「美術記者」という共通の体験を引き出し、どのように後の作家活動に影響したかを丹念に探った。
 ホンダも、彼らと似た道を歩んだ。奈良の大学を出て京大院へ進み美術史を学ぶ。そこから地方新聞に籍を置いたがわずか3年で退職。出版社で編集作業を経験した後、フリーに。新聞社で美術記者を目指したがかなわなかったので転職した、という点が違っている。

 毎日にいた井上と産経にいた司馬。ともに関西で勤務した。彼らにとって新聞記者とは何であったか。井上は「おりた」記者だと自称し、最初から社会部など報道の前線を志していなかったようだ。一方の司馬は「火事があれば走っていくのが記者」といい、文化部で美術担当を命じられ「車庫入りした気分。落魄の思い」だったという。ホンダを含め3人とも、報道の前線にいて情報を手際よく処理するという行動類型と「文体」には馴染まなかった(馴染めなかった?)とみることができる。むしろ「美術」という窓を通して思索を深めていくことに適性を見出した、といえよう。感性の共通土壌が見えてくる。
 ただ、記者を卒業してからの二人の道筋はかなり違う。司馬は「美術記者は、本当の自分ではない」との思いから「美術オンチ」を自称した(実際はそんなことはなかったらしいが)。井上は職場にいたころから「美術記者向き」とされた。こうして美術に一定の距離を置いた司馬に対し、井上は生涯、向き合った。

 1975年と77年の2回、二人は中国の旅に同行した。この時の井上を見る司馬の視線が興味深い。西域の山河を前に、井上は時代を超えて人々を肉眼で見たいとの思いに駆られていた、という。司馬は「こういう衝動の多発-悪魔的ななにか―に体が刻々ひきずられているとしかおもえなかった」と書いている。関心ある対象を目の前にしたとき、井上には何者かが憑依したような行動、静かな狂気が頭をもたげる瞬間があったという。こうした狂気と詩が、小説「敦煌」につながったのかもしれない。
 井上は50代でスペイン・プラド美術館を訪れ、ゴヤの作品と出会った。中でも衝撃を受けたのは「カルロス四世の家族」で、集団肖像画の背景にある、誰も書かなかった物語を書いてしまう。名作を前にしたときの、悪魔が憑依したかのような傾倒ぶりがわかる。
 司馬は、ゴッホの絵が好きだった。ホンダはその根っこに狂気があるとみる。司馬が、ゴッホと同じ「文学性」を持つ画家として鴨井玲の絵に出会ったのは、新聞記者をやめてからだった。司馬はここで「裸眼で」という言葉を使った。「ただ生きている、という最後の生命の数滴」を「すばらしい描写力」によって描く。ここがゴッホと共通するという。美術記者としてではなくただ人間として、裸眼として絵画の衝撃力を受け止める。これが、司馬の到達点だった。

 陶芸の分野は、接し方がやや違った。柳宗悦のいう「民芸」の思想を根底に置いた「用の美」であり、仏像や絵画とは違う世界。そこで、陶芸には「持つ」という行為が生じる。井上は「持つ」ことに大胆であったようだ。一方の司馬は嫌悪を感じる。「コレクターになる」ことへのそれである。ただ、柳の「民芸」思想には彼なりの理解を持っていた。
 --伝統工芸は、九割までが技術で、あと一割が魔性である」。その魔性がどう昇華するかで作品が決まってしまう、と司馬はいう(155P)。
 説得力のある指摘である。

 司馬は記者時代、八木一夫という陶芸作家と出会う。「用の美」「無名性」と対極の存在。柳を「読みすぎていた」司馬は衝撃を受け、理性では抗えなくなる。やきものは司馬にとって「荷厄介」であった。陶工から、魅力的な壺をもらうことをためらわなかった井上とは違っていた。

 二人は「宗教記者」でもあった。考えてみれば当然だが、美術の世界は宗教の世界に通じる。寺社仏閣、仏像、絵画は美術、宗教と同根の世界を持つ。二人が宗教記者でもあったのは、当然の成り行きであったろう。

 後から思えば、二人にとって「美術記者」という体験は回り道だったかもしれない。ホンダは「おわりに」で面白い指摘をする。もし二人が美術記者にならなかったとしたら―。井上はゴヤをあのように豊かな世界に再創造しただろうか。司馬は「裸眼」に目覚めることなく、ゴッホにあそこまで執着しなかったかもしれない。八木一夫に出会わなければ、やきものへの思索をあれほど深めただろうか―。「回り道」が生み出したものを、ホンダは逆説的に語っている。
 平凡社2800円(税別)。

二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎


二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎

  • 作者: ホンダ・アキノ
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2023/09/13
  • メディア: Kindle版


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