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日常の隣に潜む不条理~映画「怪物」 [映画時評]


日常の隣に潜む不条理~映画「怪物」


 小5の息子と学校のトラブル。日常生活でありそうな出来事を緻密に描く。母親、学校側、そして子どもたち。三者の視点は微妙に食い違う。真実を言っているのは誰か。黒澤明「羅生門」(原作は芥川龍之介「藪の中」)のテーマがよみがえる。当事者間の視点の「ずれ」を描いた作品では「三度目の殺人」(2017年、是枝監督)はじめ、海外では英米合作「最後の決闘殺人」(2021年、リドリー・スコット監督)やイラン「別離」(2011年、アスガー・ファルファディ監督)があった。ただ、正面から「食い違う真実」を見つめたものはそんなになく(「羅生門」以来?)、精巧さにおいても記憶にないほどの出来だ。

 始まりは火事のシーン。繁華街のビルが炎上、消防車が向かう。マンションの部屋から眺める麦野早織(安藤サクラ)と息子の湊(黒川奏矢)。突然、湊が「豚の脳を移植した人間は豚?それとも人間?」と問う。学校の先生がそう言ったという。
 父は死別した。シングルマザーの早織はクリーニング店で働き、湊を育てている。そんな息子に最近、異変が相次いだ。水筒に詰められた泥、片方だけのスニーカー、耳の小さな傷。
 夜になっても帰らない湊を必死に捜した。今は使われていないトンネルにいた。廃車となった電車が置いてあった。優しく、と気を配りながら帰りの車で問いただす早織に、湊はドアを開けて飛び降りた。

 何があったのか、学校に出向き問いただす早織。校長(田中裕子)や担任の保利道敏(永山瑛太)は「誤解を招いて申し訳ない」と謝るばかりだった。表情は鉄仮面のよう(と、早織には見えた)。「そうじゃない、本当のことが知りたい」と迫るが、謝罪を繰り返すばかりだった。守るべきは子どもではなく組織と体面だといっているようだった。話は大きくなり、PTA総会で担任が謝罪。新聞に「学校で体罰」と報じられた。これは真実なのか…。

 このエピソードが早織、保利、湊ら子どもたちの視線で描かれる。保利は、恋人(高畑充希)との時間では当然ながら人間的な表情をしていた。子どもたちとも普通に接し、体罰教師には見えなかった。
 湊は、同じクラスの星川依里(柊木陽太)をいじめているといううわさがあり、そこから「怪物」と呼ばれた。しかし、星川は湊を親友と思っていた。少なくともそうした複雑な感情があった。二人は冒頭に出てきた古い電車内で遊び始めた。
 単純に見えた「事件」の構図は、当事者の視線の絡み合いによって複雑さを増した。教師の「体罰」はあったのか、クラス内の「いじめ」はあったのか、学校側はそれらを隠そうとしたのか…。
 それぞれの言動の裏側に理解できないものの存在がうかがわれる。湊や星川、保利にとっての真実とは。学校側の真実とは。日常のすぐ隣に潜む不条理を描いた。

 星川に関して、いくつか回収されないエピソードがある。持ち歩いていた発火用ライターは一連の放火と関連するのか。風呂場で溺死しかけたり、廃車内で自らのセクシャリティへの自覚を暗示したりする行動は何を意味したのか。そんな枝葉が影のように物語の怪物性を増幅している。
 ただ、最後のシーンをどう受け取るか。大人たちの思惑や打算によってゆがめられた真実。しかし、子どもたちはあくまでピュアな世界を生きている…ということが言いたいのであれば、最後の最後で作りが少し緩んだかな、という気がしないでもない。

 2023年、監督是枝裕和、脚本坂元裕二、音楽坂本龍一。


怪物.jpg


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