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暗転するひと夏の思い出~映画「アフターサン」 [映画時評]

暗転するひと夏の思い出~映画「アフターサン」


 小津安二郎は、肝心の場面を映さないことで知られた。老夫婦が上京する物語では汽車に乗るシーンがなく、娘が結婚する作品では相手だけでなく結婚式も出てこない。それらは観るものの想像に任せた。
 「アフターサン」は、作品の色合いこそ違うが肝心な場面を見せない、という点で小津作品に似ている。

 トルコの避暑地。父と娘がひと夏の忘れがたい日々を過ごす。ソフィ(フランキー・コリオ)は思春期真っ盛りの11歳。地元の同年代の子や若者と遊んでいる。そこには邪念などない。一方のカラムは31歳。妻が同行していないところから、離婚したと思われる。娘と母の、それらしい電話での会話もある。
 20年前にホームビデオで撮ったという、いくつかのシーンが挿入される。もちろんそれだけではない。ダイビングを楽しむシーン。カラムはインストラクターに「この年まで生きているとは思わなかった。40歳まで生きているかは分からない」とつぶやく。心に死の影が宿る。一方のソフィは、あくまでも純真だ。
 しかし彼女は、あのころの父親と同じ年になって避暑地のビデオの中に、父親が残した物語のフレームのようなものを見出す。
 太陽が降り注ぐ避暑地での、二人の残酷なまでに対照的な視線。光が強い分、影が濃くなる。しかし、父親に何があったのか。何を悩んでいたのか。妻と別れたのはなぜか。悲嘆にくれる背中は映しても、そこにある「事情」は語らない。父親の生死さえ明らかではないのだ。そこが逆に心に刺さる。

 2022年、監督シャーロット・ウェルズ。初の長編作品というスコットランドの新鋭。アメリカでこんな繊細な作品がつくれるとは。


アフターサン.jpg


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