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介護の根源的な問題に迫る~映画「ロストケア」 [映画時評]

介護の根源的な問題に迫る~映画「ロストケア」


 「ロストケア」は失われたケア(介護)、または喪失のケア(介護)。どちらが正解か、と思いつつ観た。後者が作り手の意図に近そうだ。
 高齢者介護の悲惨さが言われて久しい。苦しみから逃れる道はあるのか。それとも介護対象者の命と引き換えにしか、道はないのか。そうした根源的な問題を見据えた。松山ケンイチという優れた性格俳優を中心に据えたことが、作品の完成度を増した。

 冒頭、一人の女性がさびれたアパートを訪れる。パトカーが止まっている。部屋の中はごみが散乱、悪臭が漂う。ベッドにヒト型のしみ。この状況の意味はラストで回収される。
 長野のケアセンター八賀。何人か介護士が働いている。斯波宗典(松山ケンイチ)もその一人。歳に似合わず白髪が目立つ。同僚たちは、苦労してきたせいだと理解している。そのせいか、斯波は高齢者に優しく気配りもできていた。
 ある日、訪問先の老人が自宅ベッドで、介護センター所長・団(井上肇)が階段下で死んでいるのが発見された。警察の捜査を受け、大友秀美検事(長澤まさみ)が裁判を担当した。浮上したのは斯波だった。証言と違って、事件直後に近くを車で走行していたのを防犯カメラにとらえられていた。調べが進むうち、ケアセンター八賀で不審な病死者が異常に多いことが分かってきた。その数3か月で41人に及んだ。
 「何かある」と直感した大友は、斯波の経歴のうち、介護士になる直前に3年半ほど空白があることを突き止めた。斯波は、自らが手にかけた高齢者は42人と自供していた。空白期間に手にかけた人間が一人いるのか。それは誰か。なぜ、介護士として優れた仕事をしてきた斯波は、42人もの人間の命を奪ったのか―。


 斯波の心の闇が徐々に明らかになる。
 空白とみられた期間、斯波は父・正作(柄本明)の介護をしていた。認知症と脳梗塞の後遺症による半身不随があり、壮絶な体験だった。しかし、どこからも手が差し伸べられることはなかった。生活保護申請さえ「あなたは働けるでしょ」のひとことで却下された。父を救い、自らを助ける方法は一つしかなかった。斯波は重い決断をする。
 この体験が斯波に介護士としての道を選ばせ、多くの介護対象者の命を奪う(それによって当人と家族を救う)道を歩ませた。センターの記録と斯波の証言との誤差「1」は、実父だった。

 ここからは、検事・大友と斯波のダイアローグになる。「言葉の二重性」が問われる。斯波の行為は殺人なのか、救済なのか。斯波に死刑判決が下った時、国家の名においてなされる行為は殺人とは呼ばれないのか。家族との絆というとき、それは呪縛につながらないのか―。
 ラストシーン。大友は拘置所の斯波を訪れる。彼女の父は20年前に離婚していた。その父から3か月前に連絡があったが、彼女は取り合わなかった。その後、父はアパートで孤独死した状態で発見された。死後およそ2か月。父は何を言いたかったのか。
 大友もまた、父を見殺しにした「罪」を、斯波に告白した。
 さて、このラストはうまく着地しているだろうか。斯波は、命を奪う行為へと確実に足を踏み出した。大友は父の死を事後に知り、罪の意識にさいなまれた。二人が同じ地平にいるとは思えない。とはいえ、全編通じて高齢者介護の問題に正面から取り組んだ秀作といっていい。

 相模原障がい者殺傷事件との類推が言われるが、思想の部分で決定的に異なる。老々介護の末に一方が一方を殺害する痛ましい事件の方が、関連は濃いように思う。
 2023年、前田哲監督。原作は葉真中顕「ロスト・ケア」(光文社文庫刊)。映画化の際に検事が女性になった。こうしたビジュアルを意識したつくりは、果たして好結果につながったか。


ロストケア.jpg



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