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野心、狂乱、転落の向こう側が見えない~映画「バビロン」 [映画時評]

野心、狂乱、転落の向こう側が見えない~映画「バビロン」


 バビロン。メソポタミアの古代都市。ヨハネの黙示録によれば、悪魔の住むところ。破壊と創造を繰り返した。バベルともいい、天に届く塔をつくろうとして神の怒りに触れ崩壊した「バベルの塔」のいわれもある。この古代都市にハリウッドを見立て作られたのが、デイミアン・チャゼル監督の「バビロン」である。悪魔的な狂乱、スターへの階段を上るための野心の熱量、そして失意と死。これが全編を覆う。

 1926年から30年代初め。二つの世界大戦の間、戦間期と呼ばれた時代。日本で言えば大正ロマンの時代である。群像劇だが、主要な人物は3人。サイレント時代のスター、ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、チャンスをつかもうとする新進女優ネリー・ラロイ(マーコット・ロビー)、メキシコ移民で映画会社のアシスタント、マニー・トーレス(ディエゴ・カルパ)。
 ロス郊外の別荘で破天荒なパーティーが計画され、会場に象を登場させるアイデアが進行していた。ひそかにその象を運ぶのがマニーの役割だった。悪戦苦闘の末に象は運ばれ、始まった狂乱の宴に駆け付けたのがネリーだった。会場で女優が薬物死、代役に選ばれたネリーは、千載一遇のチャンスと演技を披露する。ジャックもそれを見ていた…。こうして3人が絡んでいく。時代はサイレントからトーキーへ。女優として売り出したネリーは「ヤギのような声」と悪評が立ち、セリフ回しが下手なジャックも落ち目に。マニーは映画会社の重役に上り詰めていた。

 転落が始まる。ジャックのセリフは観客に笑われ、そのことを聞かれたある映画評論家は「理由はない。時代が変わった」と答えた。失望したジャックは拳銃自殺をする。一方のネリーは荒んだ日々の末、あるパーティーで酒乱状態に。夢を断ち切られてマフィアの賭博にはまり、巨額の借金をつくる。マニーに泣きついたが、逆に彼自身もマフィアの餌食になり、二人でメキシコ逃亡を企てるが、ネリーは闇の中に消え、数日後に遺体で発見された。

 1952年。メキシコから家族を連れロスに現れたマニーは、かつて働いた映画会社を見せた後、一人で映画館へ。そこでは懐かしい映画が上映されていた…。
 ストーリーは単純である。野心、狂乱、栄光、破局。これらがちりばめられる中で、夢の実現と転落が描かれる。ラストの1952年にも意味がありそうだ。テレビが勃興し始めたころ。言い換えれば、ハリウッドが「王国」であった最後の時代。

 デイミアン・チャゼル監督作品では「セッション」を見た。クールなジャズを主題にしたにしては、スポ根ふうで違和感があった。「ラ・ラ・ランド」はスルーした。今回も「何かが違う」感じがぬぐえなかった。昔のハリウッドなら「ワンス・アポン・アタイム・イン・ハリウッド」が、サイレント時代なら「アーティスト」があった。そのうえで何を描こうとしたのだろう。そんな思いがわだかまり、どぎついシーン満載の3時間は長かった。
 2022年、米国。

バビロン.jpg


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