「人をつなぐ」言語を求めて~濫読日記 [濫読日記]
「人をつなぐ」言語を求めて~濫読日記
「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」(奈倉有里著)
著者の奈倉有里は2002年、20歳で単身ロシアに渡った。ロシア文学を学ぶためである。ペテルブルグの語学学校、モスクワ大予備科を経て2008年、日本人として初めてゴーリキー文学大を卒業した。書のタイトルは白夜のペテルブルグ、ほとんど闇となった教室での授業風景と、常に希望を捨てないアレクサンドル・ブロークの詩を重ねた。
前半は異国の言語、文化と出会うことの楽しさや戸惑いが率直につづられている。そんな中、常に相手の奥深さを知ることの喜びを忘れない姿勢が印象的だ。
例えばロシア語の入り口に立つきっかけになったある吟遊詩人の詩のこと。
神よ 人々に 持たざるものを 与えたまえ
賢い者には 頭を 臆病者には 馬を
幸せな者には お金を そして私のこともお忘れなく…
不思議な詩である。賢者に頭脳はいらないだろう、臆病者は見知らぬ土地に足を踏み入れることはないのだから馬はいらない、幸せならもうお金などいらないだろう…。
普通はそう思う。でもその思考を一度ひっくり返してみてはどうだろう。賢者とは頭がいいことか、本当の臆病者とは、幸福とは何か…。この詩には、表層的な意味を超えたものがある。著者はここに「言葉の森がある」という。
さまざまな文化や友人たち、酔いどれ教師との濃密な出会いを描く。いずれも、言葉は人と人をつなぐものとの信念に満ちているところが楽しい。しかし、後半に入るとにわかに文章がジャーナリスティック、時事的になる。いうまでもなく、プーチンの大国主義が影を落としている。
文学大の最終学年のころ、文学史の教授からありえない発言を聞いたという。ウクライナ出身のゴーゴリがロシア語で作品を発表したのは、ロシア語が文学的に優れていたから、と。これに対して著者は、ウクライナ人の母とロシア人の父の間に生まれたミハイル・シーシキンの文章―兄弟であるロシアとウクライナを争わせ、分かつことなど、本来できるはずはない―を挙げる。
2022年、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが世界を賑わせた。プーチン大統領は思想的背景としてロシア史、ロシア語、ロシア正教を挙げた。この三つはロシア保守思想の根幹をなし、そこに作られた世界を「ルースキーミール(「ロシア世界」)」と呼んだ(「プーチンの世界」フィオナ・ヒルほか著)。侵攻の理由として「ロシア語圏を守る」とするのも、そこからきている。この論理はロシア語圏の一体化を進める、と読めるが、当然ながらウクライナ国民から見れば敵対と排除を意味している。
終わりが見えないウクライナ戦争。だからこそ、言葉は分断のためではなくつながりのためにある、という著者の思いは重く響く。
イースト・プレス、1800円、税別。
- 作者: 奈倉有里
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2021/10/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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