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世論も加担した「戦争への道」~濫読日記 [濫読日記]

世論も加担した「戦争への道」~濫読日記


「昭和史研究の最前線 大衆・軍部・マスコミ、戦争への道」(筒井清忠編著)


 昭和の時代、日本はどのようにアジア・太平洋戦争への道筋をたどったのか。この、永遠ともいえるテーマをめぐって「最前線」の研究はどのような現状にあるかが、筒井清忠ら13人の研究者によってまとめられた。

 最大の特徴は政財界、軍部の動きだけでなく、メディアと世論が時代の流れにどう影響したかが、一貫した問題意識(視点)として据えられていることだ。次に、時代の変遷を単色ではなく、複数の色合いを丹念に読み解きながら追っている。
 そのことがよく分かるのが「統帥権干犯」をめぐる章である。大元帥である天皇を絶対的な存在に押し上げた厄介な言葉だが、だれが言い始めたかは、はっきりしていない。ロンドン軍縮条約締結をめぐって政府に批判が集中したのが発端だが、軍の編成権はもともと政府にあり、この時の政府の動きはなんら批判に値するものではなかった(天皇も当時、内容を了解したとされる。従って天皇無視という批判も当たらない)。第4章でこの問題を取り上げた畑野勇も、最初に言い出したのは「北一輝・右翼団体・陸軍・政友会・マスコミのいずれか」断定は困難、と書いている。政友会が入っているのは当時の野党第一党であり、政権批判として行った、とするものである。北や政治団体だけでなく、新聞を含めた世論の醸成が統帥権干犯という殺し文句を独り歩きさせた。
 「日中15年戦争」という括り方にも異論を唱えている(第5章、熊本史雄)。「15年」とは満州事変が起きた1931年から終戦の1945年までを指すが、その間は「戦争」一色ではなく、上海事変直後のトラウトマン駐華ドイツ大使の動きに見られるように、停戦を模索してもいたのである。これらをとらえ、満州事変→満洲建国と、その後の日中戦争とは区切って考えるべきだとする。停戦の動きを封じ込めたのは、世論の沸騰であった。

 世論の動向が時代の流れに多大な影響を与えたとする背景には第一次大戦後、つまり戦間期の大正デモクラシーの高揚がある。人権や平等意識が浸透し大衆社会が生まれ、政界や軍部もそれらの動きを無視できなくなった。無産政党の台頭があり、両者の結びつきによる「昭和維新」の動き―血盟団事件、5.15事件、そして2.26事件へと至る。
 2.26事件の思想的背景には、北一輝も含めて、大正デモクラシーの平等主義があることは周知と思われる。大恐慌下、農村の疲弊に対する若手将校の義憤があったとされるが、1936年の時点で日本は不況から脱しており、政党政治の混迷と腐敗に対する将校らの怒りが色濃かったとみるべきであろう。
 将校決起後の天皇に向けた上部工作(宮中工作)が丹念に再現されている(第9章、筒井清忠)。あまり目にしなかった記述だ。事件の背後で石原莞爾が収拾に動いたことは知られており、決起した皇道派将校に対して石原ら統制派という対置がなされるが、統制派自体は実態がなかったようだ。少なくともここではそう読める。

 三国同盟か米英協調かをめぐって揺れた世論を佐藤卓己が解き明かしている(第11章)。判りやすく読みやすい。日本は独伊との三国同盟に単線的に突っ走ったわけではなかった。しかし、メディア議員(メディア出身議員)やメディアが仕掛けたイベントによって世論の大勢はドイツ支持へと雪崩を打ったのである。
 「戦争への道」を振り返るとき、軍や政治がやり玉にあがることが多いが、メディア機関と世論も少なからぬ加担をしていることも、しっかり見ておくべきであろう。
 朝日新聞出版、910円(税別)。



昭和史研究の最前線 大衆・軍部・マスコミ、戦争への道 (朝日新書)

昭和史研究の最前線 大衆・軍部・マスコミ、戦争への道 (朝日新書)

  • 作者: 筒井 清忠
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2022/11/11
  • メディア: Kindle版


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