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プーチン体制の政治的メッセージ~映画「親愛なる同志たちへ」 [映画時評]

プーチン体制の政治的メッセージ~
映画「親愛なる同志たちへ」


 1962年6月1日、ソ連(当時)南部のノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生。社会主義政権は武力弾圧に乗り出し、多くの労働者が死亡したという。事件は長く闇に葬られたが2020年にアンドレイ・コンチャロフスキー監督で映画化され、日本でも公開された。
 半世紀以上たって、ロシア文化庁がソ連時代の巨匠の手を借り映画化したことの意味は何か。その謎を解くため、映画館に足を運んだ。
 まず、1962年とはどんな時代だったか。1953年にスターリンが死去。56年2月の党大会でフルシチョフがスターリン批判を行い、東西冷戦にデタント(緊張緩和)の機運が訪れた。10月にはハンガリー動乱が起き、ソ連支配体制に抵抗を示したが、圧倒的な軍事力で圧殺された。「プラハの春」が戦車によって蹂躙されたのはさらに6年後、1968年である。

 ノボチェルカッスクの労働者蜂起は、物価高の中の賃下げを契機とした。リョーダ(ユリア・ビソツカヤ、おそらく架空の人物)は党員で市政委員を務める、いわば体制派で事件の対応を話し合う場でも強硬意見を述べる。
 彼女には18歳の娘スヴェッカ(ユリア・ブロワ)がいたが、事件以降、行方知れずとなった。当初は軍による威嚇射撃だけと思われた鎮圧策も、何者かの狙撃によって相当数の死者が出ていることも分かった。事件隠ぺいのため、死者は秘密裏に葬られているという。リョーダはスヴェッカがどこかに埋葬されたのではと、探索に向かう。党の調査委員会で述べた強硬意見など、どうでもよくなっていた…。
 リョーダに手を差し伸べる人物がいた。KGBの一員ヴィクトル(アンドレイ・グセフ)。リョーダの行動を監視する役回りだったが、途中から彼女を助けるほうに回った(よくわからないがそうなっている)。二人はスヴェッカが埋められているらしい市郊外の墓場にたどりつく。悲嘆にくれて自宅に戻ったリョーダを待っていたのはスヴェッカだった。彼女は生きていた。

 真面目な党員であるリョーダは、スターリン時代への郷愁を口にする。「あの時代はよかった、敵も味方もはっきりしていた…」「スターリンが恋しい。彼がいなければ革命なんて無理…」。一方でヴィクトルはKGBでありながら血も涙もある人物として描かれる。
 映画が描いたこの二つの側面を、現代のロシアで矛盾なく受け入れる人物はプーチンであろう。強権政治と秘密警察が幅を利かす社会を背景に、フルシチョフ時代の「汚点」を明るみにした。そんな政治的メッセージが、汲み取れなくもない。
 一つ付記すれば、ウクライナとの戦争でプーチンが領有権にこだわるクリミア半島をウクライナに割譲したのは、フルシチョフだった。1930年代のホロドモール(飢餓ジェノサイド)を招いたスターリンの政策に対する贖罪の意味もあったといわれる。
 フルシチョフのデタント路線の否定、スターリンの強権的官僚政治の復活。そうしたメッセージをこの映画から読むことはできそうだ。
 2020年、ロシア。


親愛なる同志たちへ.jpg


 


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