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高齢化社会の究極の問題~映画「PLAN75」 [映画時評]

高齢化社会の究極の問題~映画「PLAN75


 日本社会の高齢化が止まらない。総務省データによると2020年の75歳以上は14.9%。ある国立研究機関の推計によれば2065年の75歳以上は25.5%、実に3.9人に1人になる。恐るべきデータである。近い将来年金制度は崩壊し、経済は完全に空洞化する。現状でも年金、医療費を管轄する厚生労働省の予算は国全体の3分の1を占めるが、この比率は今後不可避的に上昇するだろう。
 こうした日本の姿は、漠然と国民に不安の種をまき散らしている。近年「自己責任」という言葉が社会で大手を振っているが、背景にこうした実態があることは間違いない。「寄らば大樹」というが、日本社会はもはや、寄るべき大樹ではないのだ。
 では、どうすればいいか。
 一つの答えは、現役世代を増やして高齢者比率を減らすこと。しかし、現役世代が思うように増えなければどうするか。答えの一つは、人為的に高齢者を減らすこと。
 「PLAN75」は、こうした線上にある映画である。現代の姥捨て山の物語である。

 2025年。高齢化社会が財政を圧迫し、不合理を感じた若者が老人を襲う事件が頻発する。そんな中、75歳以上の高齢者は自らの意思で死を選ぶ権利を認める「PLAN75」が国会で成立した。その日からPLAN75は明るい社会を保障する夢の制度のようにメディアで報じられた。
 夫と死別した角谷ミチ(倍賞千恵子)はホテルの清掃をしながら団地で細々と暮らしていた。78歳、子供はいなかった。岡部ヒロム(磯村勇斗)は役所の窓口でPLAN75の受付業務をしていた。老人ホームで働く外国人労働者のマリア(ステファニー・アリアン)は国に重い病気の娘がいた。仕送りを増やすため高額の給料を求めていたところ、PLAN75の仕事が舞い込んだ。
 ミチには気の置けない同世代の仲間が何人かいた。しかし年々、働き口が減っていくのが悩みだった。そんな折り、職場で倒れた親友と電話連絡がとれなくなった。胸騒ぎがしたミチは自宅を訪れる。突然死した遺体があった。
 ヒロムは、申し込んできた岡部幸夫(たかお鷹)が、何年も音信不通だった叔父であると気づいた。身内であるため、規則で担当を外れたがその後も気になり、接触を持った。
 ミチもまた悩んだ末にPLAN75に申し込んだ。10万円の支給金と、担当者とのチャットサービスがついていた。時間制限付きだったが、チャットは毎日の楽しみとなった。ある日、担当の成宮瑶子(河合優実)に、会えないかと提案したところ意外にも応じてきた。瑶子はどこかで、制度に腑に落ちないものを感じていた。
 ヒロムは叔父を、安楽死施設へ車で連れて行った。帰り道、あることが気になって施設へとUターンした。以前に制度の下請け業者をチェックしたところ、動物の死骸などを処理する会社であることに気づいていたのだ。
 マリアは遺体が身に着けていたものを整理するのが仕事だった。同僚から、適当にネコババする技術を教えてもらった。捨ててしまえばただのゴミ。使えばごみではなくなる、という理由だった。

 ミチは安楽死ガスによって隣のベッドで死んで行く男性(ヒロムの叔父)を見ていた。そして、ガスの器具を外した。
 ヒロムが叔父の遺体を乗せて向かった先は、人間の火葬処理場だった。

 是枝裕和監督のオムニバス映画「十年」にヒントを得て早川千絵監督が長編映画化したという(「十年」は未見)。ミチやヒロム、瑤子らが心に引っ掛かりを覚えたもの、それは究極の人間の尊厳はどこで守られるのか、という問題である。社会的な合理性だけで個人の人生は左右されるものなのか。ここに作り手の視線がある。やや生硬で粗削りではあるが(早川監督の初長編)、その分、問題意識はストレートに届く。倍賞千恵子の寡黙な演技に脱帽。
 2022年、日本・フランス・フィリピン・カタール合作。


PLAN75.jpg


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