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時代の分岐点を描く~映画「峠 最後のサムライ」 [映画時評]

時代の分岐点を描く~映画「峠 最後のサムライ」


 6年前のこと。評論家・佐高信の講演を聞いた。「平和」がテーマだったが冒頭、奥羽越列藩同盟を引き合いに語り始めた。直前の参院選で野党が東北6議席中5議席をとったのは、戊辰戦争の恨みがいまだに残っているせいだ、と説いた。
 薩長土肥の勤皇派に対して、佐幕派を糾合したのが奥羽越列藩同盟だった。司令塔役を担ったのは小藩・長岡藩の家老・河井継之助だった。河井は人望が厚く、薩摩の西郷隆盛をして「もしも今日世にあるならば台閣(政府)にたつべき一人」と言わしめた。西の坂本竜馬、東の河井継之助ともいわれた。時世の流れによって賊軍の汚名を着せられ、奥羽越列藩もまた明治以降、苦難の道を歩んだ。
 東日本大震災と福島原発事故の際、評論家で慶大教授の小熊英二は近代日本に一貫する二重構造を指摘した。エネルギー、食糧、労働力、これらの供給源は、直接名指しこそしなかったが奥羽越列藩のエリアと重なる。近代日本の縁の下を支えた地域だった。

 明治維新で日本の分かれ道に立った人物・河井継之助を描いたのが「峠 最後のサムライ」である。長岡藩を事実上率い、当初は非戦論(=モンロー主義)を唱えたがかなわず、やむなく薩長土肥との戦いに臨んだ。戦力の違いはいかんともしがたく、長岡城は落城。2カ月後に敵の意表を突く八丁沖渡渉作戦を決行して奪還したが4日後に再び落城。この時重傷を負い、会津藩へ逃げのびようとしたが自力で歩けず「八十里 腰抜け武士の 越す峠」と辞世の句を残した。この個人体験が司馬遼太郎の原作、映画のタイトルに反映されたと思われる。もちろん同時に、上るものも下るものもいた明治維新(=戊辰戦争)という時代の「峠」をも含意している。河井はこの時の傷により破傷風を併発、落命したとされるが、その辺は曖昧にされた。
 映画では、河井が福沢諭吉の「西洋事情」の自由と権利思想に思いをはせるシーンもあり、戦のわだかまりを後世に払しょくできていれば日本の近代は少し違っていたかも、と思わせる。薩長の指揮官らの傲慢ぶりが過剰に描かれ、ステロタイプ化されているのが難点。河井は役所広司、妻おすがは松たか子。小泉堯史監督は「雨あがる」や「蜩ノ記」でおなじみ、時代劇の手練れ。2020年製作。


峠.jpg


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