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滅びの美しさ~映画「椿の庭」 [映画時評]

滅びの美しさ~映画「椿の庭」


 写真家・上田義彦の監督デビュー作。葉山の海を見下ろす一軒家を舞台に、老境の穏やかな日々を送る女性と孫娘の心の交流を描いた。スチールを思わせるショットが印象的だ。庭に咲く四季の花々、海と空、古民家が二人の女性の心象を映す。
 絹子(富司純子)の夫の四十九日法要が営まれた春の日、一匹の金魚が死んだ。絹子と孫の渚(シム・ウンギョン)は椿の花弁にくるんで埋葬してやった。法要には絹子の娘で渚の叔母の陶子(鈴木京香)も姿を見せた。一人になった絹子に、東京で一緒に住まないかと声をかけたが、この家に愛着がある絹子は断った。
 税理士の黄(チャン・チェン)から、相続税対策として家を売らないかと持ち掛けられた。絹子は迷いながら受け入れた。
 夏の盛り。夫の親友だった幸三(清水紘治)が訪れた。懐かしいレコードをかけ、思い出話に花が咲いた。絹子は「この地を去ってしまえば、ここでのことは思い出せなくなってしまうの…」といいながら倒れてしまった。命に別状はなかったが、退院後の絹子は生への執着をなくしたようだった。
 やがて、買い主の戸倉(田辺誠一)が家を見に来た。絹子は家財道具の整理を始めていた。訪れた陶子には指輪を、渚にはブローチを渡した。その夜、渚は異国の地で結婚し、若くして亡くなった母から聞いた思いを陶子に話した…。

 ここにあるのは、滅びの美しさである。成立させているのは、富司の所作の美しさであり(かつて「緋牡丹博徒」がヒットしたのは修羅場をくぐる藤純子の所作の美しさにあった)、葉山の四季を切り取ったフレームの美学である。思い出にふける絹子のシーンに何度か流れる「トライトゥリメンバー」。古民家と音楽の融合は鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」を彷彿とさせる。時折挿入された空と海と雲のカットはソール・ライターの写真集を見るようである。
 セリフは極端に少ない。というより、画(え)のためにセリフがある、という作品である。この、画(え)自体がストーリー性を持つ、という点がソール・ライターを思わせるのである。
 2019年、日本。


庭の椿.jpg


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