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シアトリカルな天皇像~濫読日記 [濫読日記]

シアトリカルな天皇像~濫読日記


「三島由紀夫 悲劇への欲動」(佐藤秀明著)

 白眉は演劇論から天皇論に至る部分である。
 著者の佐藤は、三島の演劇観を「シアトリカル(劇場的)」という。そのうえで、三島自身の言葉を引用する。

――役の人物があらはれる一瞬前に、役者が登場しなければならぬ。役の人物が退場した一瞬あとに、役者が退場しなければならぬ。

 役者にとって役は衣装のようなもので、この点でスタニスラフスキー・システム【注】の「俳優は役を生きる」とは異なっていた、と佐藤はいう。
 この考え方は天皇観にも引き継がれる。三島の天皇観が表れている作品として「英霊の声」がある(文学的な評価とは別)。そこで霊の声として

――(「陛下は人間であらせられた」ことは「よい」が)ただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。(略)この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。それを二度とも陛下は逸したまうた。

 と書いた。「二度」とは、二・二六事件のとき、特攻隊の死から遠くない時期の「人間宣言」を指し、いずれも三島は許せないという。天皇は人間でもいいが、歴史上、二度だけ「神」でなければならない時期があった、というのだ。一見分かりにくいが、三島のシアトリカル演劇論をかぶせれば、よく分かる。三島はゾルレン(あるべき姿)の天皇(=忠義を尽くすべき存在)を求めており、ザイン(存在)とは必ずしも一致しない。そこから「文化概念としての天皇」を頂点に置く「文化防衛論」も生まれた。
 「シアトリカルな天皇」観は、三島の天皇論を理解する上で「目からウロコ」かもしれない。

 三島は作家のほか様々な分野で活動した。時に映画に出演、一方で民兵組織「楯の会」を結成。自衛隊市ヶ谷に乗り込んで壮絶な最期を遂げた。作家としても純文学、風俗小説といったジャンルを越えて作品群を発表。脚本も評価は高かった。
 こうした三島ワールドを、大澤真幸は彼が抱える虚無の深さから読み解き、菅孝行は天皇論を手掛かりに切り込んだ。精神科医の内海健は、金閣寺に放火した修行僧とともに、彼を題材にした小説を書いた三島自身にも精神病理学のメスを振るった。活動が多岐にわたるため、一つのキーワード、もしくは道筋をたどってその世界を解明していく方法がとられた。
 佐藤による標題の三島論の手がかりは「前意味論的欲動」である。佐藤の造語らしいが、無意識下で抱える欲望、もしくは衝動といったところであろうか。情念という言葉が近いかもしれない。この言葉で文学に限らない三島の行動と思想の領域を横串に差し、解明を図ろうとした。
 結果として、三島の生い立ちから「仮面の告白」「金閣寺」にいたる「生きづらさ」の問題、LGBTへの関心、戦後社会に対する虚無感情まで、三島の世界のほぼすべてが盛り込まれた。
 岩波新書、860円(税別)。

【注】著者はこの前段で三島と文学座の演劇観をめぐる議論を紹介している。当時の演劇集団の多くがスタニフラフスキーの演劇理論を採用していた。

三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書)


三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書)

  • 作者: 佐藤 秀明
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/10/21
  • メディア: 新書


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