SSブログ

悪人こそ救われるべき~映画「聖なる犯罪者」 [映画時評]

悪人こそ救われるべき~映画「聖なる犯罪者」


 薄っぺらな知識しか持ち合わせていないことを承知でいうが、この映画でいわんとすることは悪人正機説ではないか。本当に救われるべきは善人ではなく、悪人ではないのか。いや、それよりもこの世界に住む人間はすべてが悪人ではないのか。善と悪とは何か、聖と俗とは何かが境界を失い、混沌として目の前に繰り広げられる。
 殺人罪に問われ少年院に送られたダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は神父の教えを得て信仰心に目覚め、宗教者になることを目指した。しかし、前科者は神父になれないと告げられる。
 やがて仮釈放になったダニエルは、働き口である製材所に向かう途中、村の教会に立ち寄った。そこで出会った少女マルタ(エリーザ・リチェムブル)に冗談で「司祭だ」と告げると教会の神父に伝わり、代役を務めるよう依頼される。ヴォイチェフ神父は重度のアルコール依存症で、満足に務めができない状態だったのだ。こうして、ダニエルの偽りの神父生活が始まった。
 村では年前、7人が亡くなる自動車事故があった。マルタの兄も犠牲者の一人だった。事故は今も村人の心の傷として残り、原因とされた男スワヴェクの妻は今も憎しみの対象だった。ダニエルは村人の心の傷をいやすため、あらゆる努力をする。関係者に話を聞くうち、スワヴェクは、妻の証言から泥酔状態ではなく、禁酒していたことが判明。一方の6人は、残された映像から泥酔状態であることが分かった。日々のミサの、型破りだが自らの体験を踏まえた説話も人々の心をとらえた。
 こうした事実を踏まえ、ダニエルは寄付を募り、スワヴェクの埋葬費に充てようとするが、村人の心は固かった。ダニエルとともに少年院にいた男が現れ、カネを要求する事態も起きた。さらに本物の神父が現れダニエルを叱咤、直ちに去るよう命じた。ついにダニエルは村人に本当のことを告げる決心をする。それには司祭服を脱ぎ、上半身の刺青を見せれば十分だった…。
 ダニエルこそが救われるべき対象であり、さらには人々を導くべきであろうと、この映画は思わせる。しかし、現実はそうはならず、ダニエルは再び少年院に戻っていく。ポーランドであった実話に基づくという。
 2019年、ポーランド、フランス合作。監督はポーランドの新鋭ヤン・コマサ。


聖なる犯罪者.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。