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「1968」の空気を濃厚に~映画「シカゴ7」 [映画時評]

1968」の空気を濃厚に~映画「シカゴ7」


 1968年に起きたある暴動を指導したとして起訴された7人の闘いを映画化した。なぜ今、68年なのか、という問いと答えが、当然ながら作品中に仕込まれている。
 この年、世界を席巻した運動を吉田徹は著書「アフター・リベラル」で「反システム運動=戦後システムへの反乱」(社会学者ウォーラスティン)と規定し「1968 世界が揺れた年」の著者マーク・カーランスキーは、この年を築き上げた要因として①公民権運動②反権力世代の登場③ベトナム戦争④テレビ時代の到来―を挙げた。運動はフランスに始まりヨーロッパ各国、米国、日本に及び、共産圏でも「プラハの春」をもたらした。このうち米国では、拡大するベトナム戦争と黒人差別への異議申し立てとして反乱の炎が拡大した。その中の象徴的な事件が、シカゴ暴動だった。
 
 68年夏、シカゴ民主党大会が開かれた。参加者は暴徒化し警官隊と激突、多くの負傷者が出た。暴動を共謀したとして当初8人の社会運動のリーダーが起訴された。彼らはそれぞれ3つの組織に所属、統制や団結とは程遠い行動をとった。中でもブラックパンサーの活動家ボビー・シールは、反動的でレイシストでもある判事ホフマンを口汚くののしったため公判を分離され、法廷侮辱罪に問われた。こうして公判は途中から被告7人で進められた。
 判事の偏向した訴訟指揮で審理は被告に不利に進められたが、弁護団が前司法長官ラムゼイ・クラークを召喚し暴動のきかっけは警察側が作った、との証言を得たため一筋の光明がさしたかに見えたが…。
 最終陳述の機会が与えられた被告団は、判事の反対を押し切って公判中にベトナムで戦死した5000人近い兵士の名を読み上げた。むろん、ベトナム戦争への異議を込めてである。
 判決では、共謀罪は無罪となったが、7人のうち一部が暴動を扇動したとして有罪。しかし、2審では判事の指揮に偏りがあるとして司法省が訴訟維持を断念。7人は最終的に無罪を勝ち取った。

 「1968」の空気が濃厚に漂う作品である。スピルバーグがメガホンをとるとの情報が流れたこともあったが、シナリオを書きあげたアーロン・ソーキンが最終的に監督した。
 冒頭の「アフター・リベラル」に戻ると、社会システムに対する「個」の反乱は68年に始まり、今も続いているという(著者の表現を借りれば「すべては1968年に始まった」)。そのことを念頭に置けば、68年の1つの事件を描いたこの作品が現時点でも少しも古くなく、したがって今の時代に作ることの意味(=有効性)があることがよく分かる。
 2020年、アメリカ。


シカゴ7.jpg


タグ:シカゴ7 1968
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