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大林監督の遺言~映画「海辺の映画館 キネマの玉手箱」 [映画時評]

林監督の遺言~映画「海辺の映画館 キネマの玉手箱」

 

 大岡昇平の戦場小説「野火」を塚本晋也監督が映像化、公開した際、尾道の映画館を訪れた。上映後に塚本監督と大林宜彦監督の対談が組まれていたからだ。戦無派の塚本監督は多くのシーンを、想像を交えて撮ったと話した。これに大林監督は、戦争体験者である自分たちがもっと戦争のことを語らねば、と応じていた。話しぶりに戦争を知るものの義務感、といったものがにじんでいた。今から年前の夏だった。

 大林監督の「海辺の映画館 キネマの玉手箱」を観た。この月、82歳で亡くなった監督にとって遺作となる。

    ◇ 

 尾道の映画館が閉館することになった。最後の上映会。街の人々が集まった。その中に馬場毬男(厚木拓郎)ら人の若者がいた。彼らはなぜか、フィルムの内と外を自由に移動する。映画では戊辰戦争、西南戦争、日中戦争、沖縄戦、原爆の広島投下が描かれる。時にサイレント、時にパートカラーを駆使し、底流にあるのは「戦うな、殺すな」である。ベトナム戦争で鶴見俊輔が掲げたフレーズに「殺すな」があったが、大林映画に流れるのもまた「戦うな、殺すな」である。

 監督は戦争の醜さ、愚かさを、論理によってではなく映像によって描ききる。いや、少し違うかもしれない。背景には揺るがぬ論理や哲学があるのだが、監督はそこには頼らず自らがこれまで生きるための術(すべ)としてきた「映像」を表現の前面に押し出した、と言ったほうがいいかもしれない。

 そのうえで言えば、監督が戊辰戦争と西南戦争にこだわった理由は分かる気がする。維新直後の二つの戦争は日本近代史上最後の内戦であり、天皇制と国民皆兵(徴兵制)による国家的軍事体制と旧士族階級との戦いでもあった。当然ながら勝ったのは前者で「天皇と兵隊」という近代日本の戦争装置ができる端緒となった。そして、このとき敗れた旧士族階級の背後にあった奥羽越列藩同盟は、日本近代化の中で二重構造の底辺部分を構成する。このことは東北、越後が都市部への食糧、労働力、電力(原発)供給を担ったことを見ても分かる。この二重構造は今も日本の矛盾の再生産を続けている。

 少し脱線したが、以上のようなことを監督はロジックではなく、日本的アイデンティティーに裏付けられた映像美で訴える。一見、映像とセリフの洪水のように見えるこの作品、「難解」とする声もあるが、そんなことはない。映像を「意味」としてではなく、そのまま映像として受け入れればいい。かつてゴダール作品がそうであったように。

 キネマ館の支配人に小林稔侍、切符売りの老婆に白石加代子。ほかに成海璃子、常盤貴子、浅野忠信、根岸季衣、笹野高史ら。大林宜彦監督の「遺言」にふさわしいキャストである。2020年製作。

 


海辺の映画館.jpg


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